2016年フランス・イタリア旅後記録 vol.3 |
眠りに就けたのは何時だったのだろうか。興奮の余韻で中々寝付かなく浅い眠りから起きると深夜まで飲んでいた酒がまだ残っていたが、朝にチェックアウトするので昨日仕入れたリキュールやラムの梱包をしなければならなかった。
荷造りを終えて8時半に予定通りゲストハウスをチェックアウトできレンタカー会社へと向かった。
この日はレンタカーを借りてジェノヴァから地中海沿いをフランス方面に進み、ヴァラッツェの海町で1泊するプランを立てていた。
ヴァラッツェを選んだ理由は昨年観たドキュメンタリー映画の影響があったからであった。
主人公が自分探しの旅で地中海で魅せた優雅なサーフィンからイタリアの香りを想像させてくれた。
欧州旅ではフランスやスペイン、ポルトガルで旅中にサーフィンもし、大自然と真剣勝負して向き合うことによりその土地土地をより感じてきていたが、目にしたこともなかった地中海でその持論を試してきたいと幾つか候補を挙げたサーフスポットからヴァラッツェを選んだ。
ベトナムのダナンを舞台とした戦争映画では米軍が空爆中にダナンでいい波が立つとワーグナー・オペラ「ワルキューレの騎行」をバックに波乗りをしたシーンは印象的で、プライベートで数年前に迷彩柄のサーフボードケースを持ちダナン行きを決行し、ワルキューレの騎行を聴きながら海に向かい誰もいない海でサーフィンして実現させたこともあった。
自らの世界に入り過ぎてしまい、皆さまご存知のよう自己陶酔してしまう悪い癖もあるのであるが(笑)、私を構成するライフスタイルの1つから旅の奥行きも増してくれるだろうと、旅前にヴァラッツェのサーフポイントやサーフショップを調べ上げレンタルボードの有無も確認していた。
地中海での波乗りからイタリアをより感じることが出来るだろうか…。
9時に予定通りレンタカー会社に着き予約していた手続きを終えて車と対面した。
イタリアでの運転は初めてであったが、スコットランドでもフランスでも造り手を廻る際に機動力となるレンタカーは毎年欠かせなかったので、運転席に座ると気後れすることなくいざヴァラッツェへと車を直ぐに走らせた。
朝の交通量の多いジェノヴァ市内から高速道路に無事入るがいきなり渋滞に巻き込まれて止まってしまった。
高速道路からジェノヴァの市内を見渡しながらゆったりと進むと渋滞は次第に解除され、流れに乗った気持ちいいドライブなった。
料金所が訪れ、スコットランドや例年使うフランスでの利用区間では高速道路料金がかからなかったので、ETCの付いていないレンタカーでは車線を選び、セルフサービスの料金所ではクレジットカードを差し込んでと気が抜けない。
いつしか早い流れに合わすようアクセルを踏み込み慣れてきたが、分岐点で間違えてしまったようで次の出口で一度降りて逆車線から再度乗り込んだ。
思ったよりも分岐点があるため、次こそ間違えないようにと一瞬目線を外し地図を見た時だった。
右に逸れて軽くタイヤを擦ってしまったような気がしたが、トンネルにそのまま入った瞬間に何かスーっと抜けていく音が聞こえた。
音が何から出ているのか分からず、もしかしてタイヤを擦ってしまったのかも!と思ったと同時に車内のランプが点滅し、警告音が鳴り響いた…‼︎
時速100キロ位であったがブレーキを踏まずにスピードを徐々に落としていくが、トンネル内で緊迫した時間が続いた。
とにかく落ち着けと自らに言い聞かせ、無事にトンネルを抜けた右側にSOSゾーンが目に入り流れ込むと何とか無事に車を停めることができた。
車から降りて右側の前輪を確認するとやっぱりタイヤの一部が切れ、ぺったんこに空気が抜けているではないか…
ホイールは少し黒くなっていたが車体は何も傷はないのを確認した。
不幸中の幸いであるが奇跡的にSOSゾーンがあり無事に入り込むことができた。
走行車の追突や邪魔にもならず、渋滞を作る原因にもならず先ずは良かった。
それからSOSボタンを押して状況を伝えるが返ってきたイタリア語を全く理解できない。
「イタリア語が分かりません。タイヤをバーストしました。早く来て助けて欲しい」と簡潔に伝えたがまたイタリア語で返ってきた言葉の意味が分からないまま待つしかなかった。
サイレンが聞こえてきた。トンネルから出てきた白い車がSOSゾーンに停まると救急車だった。
年配の救急隊のイタリア語が分からないでいるとその男性は電話をかけ始めた。
3人の救急隊のうち若い男性が英語で「救急車を呼んだことで本来料金がかかるのですが今回は免除します。今レッカー車を呼びましたのでしばらく待ってください」と説明してくれたが、もう1人の若い女性の救急隊は間違って救急車を呼んでしまったことに目を逸らし笑いをこらえている姿を見た。
そのうちにパトカーまで来てしまった。
国際免許証の提示を求められ、しばらくするとレッカー車が来た。
救急車とパトカーは帰り、レッカー隊の男性は「○△□…」と早口なイタリア語で私に何か言ってきた。
「すみません、イタリア語が分かりません。英語でお願いできますか?」
「○△□…」
「○△□!」
凄い剣幕で彼はレンタカーの前部をロープで繋ぎ、続いてレンタカーの助手席を開けて何やらとした後、運転席に私に座れとジェスチャーし私を座らせレッカー車に戻った。
そしてレッカー車に戻ると荷台にと引っ張り始め、私にハンドルを右に左にとジェスチャーをして指示を送った。
無事にレンタカーがレッカー車の荷台に乗ると彼は手で降りてこいとジェスチャーをし、助手席側に移動して扉を開けてレンタカーから降り、レッカー車の荷台から飛び降りた。
今度はレッカー車の助手席に来いとジェスチャーをするので助手席に座ると、まくし立てる言葉の意味が全く分からない。
彼は紙に書いて私に見せると、どうやらレッカー代が200ユーロするのを提示しているのが分かった。
何かを言いながらエンジンをかけると車を走ら、高速道路をしばらく進み出口では私にクレジットカードを出すよう提示し、そのカードで精算をすると一般道に入った。
山を上がるよう、周りに何もない田舎道を進むレッカー車が着いた先は廃車工場だった。
工場に作業員が2人いてレッカー車からレンタカーを下ろすと、私にジェスチャーをする先を見ると工場の中に事務所がありそこに向かった。
事務所にた女性が「○△□…」とイタリア語で言うがここでも英単語すら伝わらない。
しばらくのやり取りから14時まで休憩だから14時に戻って来いと解釈した。
時計を見ると11時半でかなりの時間であるが、彼女はイタリア語で何やら言いながら工場の前を指差し、下ると食事が出来ると私にジェスチャーで伝えるのが分かった。
彼女と作業員の2人、私をここまで連れてきた彼は車に乗り込んで出て行ってしまった。
置き去りにされてしまったのである。
どうやら緊急事態であっても休憩時間は関係ないらしい。
この日は気温が一気に下がり、しかも冷たい雨が降ってきたが坂を下りながら何もない坂道を歩くしかなかった。
坂を下りきったところに1軒のバーがあり、周りを見渡すと何もないのでここだろうと、これからどれ位時間が掛かるのか分からないので何か食べておこうと扉を開けた。
ピザとナスの肉詰めを頼むとテーブル席で待つよう言われ、14時まで時間が長いので1番奥の角で長居させて貰おうと思っていた。
出てきた硬いピザを食べているうちに満席となり、食べ終わると皿も片付けられ席を譲り店を出るしかなかった。
周辺には何もなく、雨の中あと1時間もあるので廃車工場に戻って待つことにした。
木陰の下で雨を凌ぐが中々時間が進まない。長い時間が経過し、14時を過ぎてやっと事務所の彼女が車で戻ってきた。
レッカー代と修理費合わせ493ユーロの提示があったが、レンタカー会社での保険に加入しているとジェノヴァのレンタカー会社とやり取りをして貰い、ここではレッカー代の200ユーロを支払うことで落ち着いた。
車を見ると一向に修理をしようとしていない。
車に戻り作業員にいつ修理をするのかを聞くが全く伝わらずにいると若い作業員が携帯電話でイタリア語から英語や日本語の変換を提示するがちんぷんかんぷんな言葉を表示し全く話が進まない。
まだ待てと解釈し、寒いのでバーストした車内で待つことにしたが全く修理する気配すらなく時間だけが過ぎていく。
そしてやっとのこと理解できたことは、車は来週まで修理が終わらないとのことであった…
「レッカー代は支払ったしレンタカー会社ともやり取りが終わった。ジェノヴァへ帰して欲しい。タクシーを呼んで欲しい」と時間をかけて伝えたが「待て」と解釈した。
ここでもまた長い時間をかけて理解したのであるが、レッカー隊の彼がタクシーの代わりに25ユーロでジェノヴァまで送るからどうだ?ということだった。
多分ここからジェノヴァまでは車で30分は掛かると予想し、それなら送ってもらおうと承諾するが、いつになっても動こうとしないので、「時間がもったいないからやっぱりタクシーを呼んで欲しい」と言うが呼んでくれない。
仕事が終わるまで待てと解釈した。
「もういいからタクシーを呼んで欲しい!」と何度も言うとようやく私をここまで連れてきた彼が自家用車で私を送ってくれることになった。
車内で手を差し出すので25ユーロを渡すと車は勢いよく発信した。
高速道路の入口で彼にクレジットカードを出せと言われると思い、その前に渡そうとすると手を払い自分のクレジットカードを挿入した。
小金稼ぎでタクシーを呼ばず私を送るのに根はいい人なんだろう。
ジェノヴァ市内のレンタカー会社に戻ったのは夕方となっていた。
レンタカー会社では「別の車をこれから貸しましょうか?」と提示されたが、これからヴァラッツェまで再度向かっても今日サーフィンは出来ないし、明日の朝にまたここに戻ってくるので意味がないと断った。
今日の泊まる場所もないが、足は自然と2泊したゲストハウスに向いていた。
ゲストハウスに着くが扉が閉まっていてここでもついてない。
電話をしてみると戻るまで30分位待って欲しいと言うので待つことにした。
疲れ果てて扉の前で座っていると若い男性が1人来た。
「30分位戻るまで掛かるらしいですよ」と伝えると彼はゲストハウスに勤める男性の友人らしく遊びに来たと言う。
英語がとても達者な男性はダヴィデさんといい、この近くでジェノヴァ伝統のフォッカチャとクラフトビールを売りとしたレストランで店長をしているらしくショップカードを貰った。
日本も好きで3年前に日本へ初めて行き、東京と京都を旅した話をしてくれた。
今日の珍道中を哀れんでくれ、また日本から来たバーテンダーにもとても興味を持ってくれて話が弾んでいるとゲストハウスの男性が戻り今日の宿泊ができることになりホッとした。
シャワーを浴びて部屋に戻り、持って来た豹柄のウエットスーツをハンガーにかけると脱力感に襲われた。
重い荷物になるのに何のために持って来たんだ…まったく。
ベッドに倒れるように横になると深い眠りに就いていた…
身体も気持ちも起きることが出来ない。もうこのまま今日はずっと寝てしまおうか…
ベッドで自問自答をしながら、無理してでもダヴィデさんに会いに行ってみようと何とか21時にゲストハウスを出るが雨が降って寒い夜だった。
歩いて3分と言っていた通り直ぐに店を見つけると「待っていたよ」とダヴィデさんが握手で迎えてくれた。
寝起きだったので軽いクラフトビールが飲みたいと言うと出してくれたドラフトのクラフトビールを喉越しで一気に飲み干し、メニューを貰った。
「英語のメニューもなくイタリア語のしかないけど」とダヴィデさんの言葉が心地良かった。
1つ1つのメニューをダヴィデさんが説明してくれているが、観光店でない証拠だし今日もジェノヴァの夜を楽しめるかもしれないと、ダヴィデさんに「おすすめのアンティパストの盛り合わせと伝統のフォカッチャ、ジェノベーゼのパスタ、それから白ワインをボトルで1本お願いしたい」と伝えた。
焼きたてのフォカッチャが乗ったアンティパストに心が踊り始めた。
昼の硬いピザから何も食べていなかったのでようやく食欲が出て香味高いフォカッチャを頬張り、イタリアはリグーリア「ラ・コンビエーラ」のコッリ・ディ・ルーニ、品種はヴェルメンティーノの爽やかでピチピチとした元気な白ワインは今の私の気持ちをも元気に掻き立ててくれ、これまた喉越しで進んでしまう。
続いてダヴィデさんがおすすめと言うチーズ入りのジェノヴァ伝統のフォカッチャを持って来た。
「これこそがジェノヴァのフォカッチャだよ」とジェノヴァ近郊のレッコ産チーズがたっぷりと入り、トロッとしてミルキーでクレープのようであった。
「あそこにあるフレッシュバジルを使ってるんだ」と店内に充満するバジルの香りが味わいを増幅してくれていた。
「いい飲みっぷりだね。最後はラヴィオリの中にジェノベーゼソースが入ってクルミをまぶした自慢のジェノベーゼだよ」と置いた。
「最高だね。楽しいよ!」と濃厚な味わいのラヴィオリも旨い。
計3皿でかなりの量であったが食べ終わると同時に白ワインも空いた。
そこにダヴィデさんから、「うちのスタッフのカクテルをプレゼントするから是非飲んで貰いたい」と1杯のカクテルが目の前で創られた。
ラムベースでフレッシュのパッションフルーツを使い、注がれたカクテルグラスの液面にくり抜いたパッションフルーツの殻の上に乗ったイチゴの香りが素晴らしい。
「日本にまた行くから東京でも会おう」と言うダヴィデさんに「必ず実現しよう。東京を案内するし是非僕のバーにも来て欲しいから」とメールアドレスを交換し、旅ならではの最高の出逢いと時間となった。
疲れからか酔いが早く店を出ると雨風が強くなってきたのでゲストハウスに戻ったが、 ヴァラッツェに行けなかったことももうどうでもよくなった。
笑いさえ出ている自分がいた。
救急隊の女の子の笑いをこらえた顔、レッカー隊のぶっきらぼうながらも根は優しいところも微笑ましく思えてきた。
イタリアで問題を起こし、イタリア語が話せない私が悪い。
だいたい自分もバーストした瞬間にタイヤの写真を撮る余裕すらあったのだ。
タイヤを擦ってイタリアでリタイアとくだらないことまで頭に浮かんでいた。
高速道路の路肩であったら自分でバーストしたタイヤを予備タイヤと交換していたかもしれないが、頭の中が真っ白になりSOSボタンに頼ってしまった自らの弱さしかない。
トラブルが無いに越したことはないが、欧州では救急車、パトカー、畑のトラクターに続きレッカー車に乗ってしまった。
それは観光客では乗れない車ばかりであり、たかが2週間前後の中で何で毎年ドラマがあるのだろうか。
昨日の夢のような1日から突然急転する展開となってしまった。
トラブルに直面した瞬間はもう旅はやめようと心底思ってしまうが、それでも1つ1つのトラブルを乗り越え、時間が経ち忘れることのない深い思い出に変わり、結果良かったんだと今は思えている。
普通の旅がしたい…
でも今日のことも時間が経てば良い思い出に変わるだろう。
旅の醍醐味は突然襲ってくるトラブルを乗り越えていくことなのかもしれない。
今回もまたネタを作ってしまったが、またこれで旅の経験値が増しただろうと自分に言い聞かせると力が抜けてそのまま眠ってしまった。