2011年ヨーロッパ紀行 vol.24 |
ビアリッツ空港から市内へ向けてロータリーを回りながら市街への標識を頼りにレンタカーを走らせました。
レンタカーはマニュアル車が多く今回もマニュアルでしたが、5速にギアを入れると小さな車でもかなりスピードは出ます(笑)
大通りから細い1本道を下って行くと赤茶系に統一された市街が目に入ってきました。
いい景色で車を停めて降りて写真を撮りましたが、車の脇道にはアジサイが咲きとても綺麗でした。
車に戻り坂を下り標識を見ながら市内に入りました。
ホテルは海沿いにあったのでまず海沿いに出ようとそこからは適当に車を走らせましたが、たまたま海沿いに出たので車を停めてアイスクリームを売っている売店でホテルを聞くとそのホテルは目の前でラッキーでした。
ホテルに駐車場がないのは事前に知っていたので荷物を車から降ろしてからフロントで停めるのにいい場所を聞いて車を停めに行きました。
ホテルでチェックインをし部屋に入ると部屋は広いし風通しも良く海風を感じ、またバスルームは大きなユニットバスが付いていて予約の値段からもお値打ちなホテルに泊まることが出来ました。
これからの3日間のことを思うとわくわくしてしまい直ぐにホテルを出ました。
昨年1月のヨーロッパ廻りでベルギーで体調を崩しホテルで寝たきりになり、何とかパリに入っての救急車…と旅の半分寝て苦しんだことから、来年は季節のいい時期に昨年の分も長く行けるようにと、帰国から1年半かけて行ける為にはどうしたらと考えたプロセスを経て今回の日程が決まりましたが、コニャック地方へ向かうまでの間のビアリッツはプライベートを入れようと3日間のスケジュールを組めることになりました。
19世紀に上流の人々の間で海岸でのバカンスが流行り始めると、雄大な大西洋沿いにあるビアリッツにナポレオン3世妃ウージェニーが別荘を建てたのをきっかけに、フランスの貴族やヴィクトリア英国女王までが訪れ名声を誇った地でもあります。
ヨーロッパの社交界がそのままこの海岸の町に移ってきた地でしたが、ビアリッツはフランスのサーフィン発祥の地でもあり、世界大会が行われるいい波を求めヨーロッパ中からサーファーが集まる地でもあり、プライベートでサーフィンをしたいと思ったのが今回の目的でした。
サーフィンは10代の学生の頃から始め、ハワイ、カリフォルニア、メキシコで波乗りしてきたことから、ヨーロッパの海でも波乗りしたいという願望もありました。
小さな湾がある旧港に面したホテルを出て湾から岬に向かう先端に向けて遊歩道を歩いて行くと見晴らしのいい高台に出ました。
先端は処女の岩と呼ばれ白いマリア像が立ち、南側はスペインの海岸線まで見える絶景でした。
その南側をバスク人の海岸“コート・ド・バスク”、北側を“グランド・プラージュ”と言い、北側にはナポレオン3世がウージェニー妃の為に建てた別荘を改装した宮殿ホテルの“オテル・デュ・パレ”やカジノが白砂の美しい砂浜に見えます。
岩崖の先端から雄大な大西洋の海風を吸いながら北側のグランドプラージュへ向けて海岸から山道を抜けていくと教会がある道にはまたアジサイが綺麗に咲いていてほのぼのとしたゆったりとした空気を感じます。
その小高い山道を進むとついにグランド・プラージュの海岸沿いに出ました。
夕方6時頃になっていましたが、まだまだ白い砂浜では海水浴をしている人が多くいました。
遠目にも白いスープが押し寄せるのに波のパワーを感じ、多くのサーファーが海に入っているのが見えました。
グランド・プラージュの海岸沿いに出てカジノの前から目の前の海を見ると波はセットでダブル近くあり、波に乗るサーファーは凄いスピードで波に乗っていて「これはやばいな」と思う程大きな波でした。
カジノから海岸沿いを歩きサーフボードを借りに、旅の前にDORASのお客様で昨年ビアリッツに旅行してサーフィンもされたお方に頂いたビアリッツの地図や多くの資料から何軒かサーフショップを探しましたが、もう閉店していてたので今日は諦め明日借りに行くことにしました。
海沿いに戻りグランド・プラージュを1番北まで歩くと大きな岩が海に浮かぶ海岸沿いに聳え立つオテル・デュ・パレを見上げながら、世界の王族貴族からヘミングウェイらの芸術家までが訪れたホテルに入ってみたく、また中にバーがあれば入ってみたいなと海岸沿いからぐるっとホテルを回り入口を探しに向かいました。