2011年ヨーロッパ紀行 vol.59 |
6月20日(月)
真夜中強い雨が窓を打ちつける音で一度目が覚めました。
夜になると雨が多かった今回の旅でしたが、朝になると止んでいることが多く、明日は晴れて欲しいなと思いながら再度眠りに就きました。
朝8時に起きると雨は止んでいて、先ずは昨年救急車で運ばれたノートルダム病院へ手土産を持って御礼に向かう為、メトロで乗り継ぎシテ駅へ向かいました。
セーヌ川の真ん中にあるシテ島のシテ駅を出ると威厳のあるノートルダム大聖堂が存在感を漂わせていました。
辺りを見渡すと昨年の記憶が鮮明に甦ってきました。
病院沿いに着き歩いていると…
目の前にあの赤い救急車が目に入りました!
昨年ベルギーのナミュールのフローレフ修道院を訪れ、取り扱いのあるビールを1月の石造りでひんやりと冷える修道院内で飲んでいた時に体調が急変し、ブリュッセルに何とか帰ってから寝たきりとなり、最終地点のパリに気力で入るもホテルで熱は相変わらず下がらず咳は止まらずで…
限界からホテルのフロントで救急車を呼んで貰いました。
震えながらフロントで横になっていると救急車が来て3人の男性が降りてきて僕を救急車に乗せてくれ、口に入れた体温計を3人が見て顔色が変わったのが分かり、体温計を見ると熱は40度でした。
最小限で持ってきた服を寝ては大汗をかき乾燥した室内で干してを繰り返して着回し、こんだけ苦しんで汗をかいたのに熱が下がらないのが分かると、そこからは意識が朦朧として救急車のサイレンの音もわからないまま病院に着き…
肺炎であと15分遅かったら命が危なかったと言う危険な状況を荒々しい処方で対処されたと当時は思いましたが、命を救ってくれたのがノートルダム病院でした。
(2010.3.8 “旅のクライマックスへ”記事参照)
目の前に停まる赤い救急車を見て、昨年の苦しみがフィードバックし、胸が押し付けられる感じで救急車を離れました。
昨年最後に病院を出た所に着き、受付の男性に訳を話しましたが、
「忙しいからもう少し待って!」
と相手にしてくれないのと全く手が空きそうにないので、そこを出て病院の受付に向かいました。
受付の女性にまた訳を話しましたが、こちらも忙しそうに目も合わせず
「預かっておくわ」
と言うので、何だか信頼出来なかったのと自分の口で御礼を伝えたかったので預けず、受付を出てまた先程行った病院出口まで行き、受付にいた男性を通り越して病院内に入って行きました。
病院内を進むと男性と女性の白衣を着たドクターが見えて声を掛けました。
昨年1月18日にこちらに救急車で運ばれ、お世話になり命を救って頂いた御礼を伝え、日本から持ってきた熨斗に昨年お世話になった日付と名前を書いておいた手土産を渡すと、2人ともわざわざありがとうと笑顔で喜んでくれて、気持ちを直接伝える事が出来ました。
男性のドクターは僕の方をポンと叩いて満面の笑みで
「ありがとう」
と言うので、「こちらこそありがとうございました」と御礼を再度お伝えしました。
病院を出るとようやく呪縛から解放されたように心が軽くなっていました。
目の前のノートルダム大聖堂には長い長蛇の列が出来ていて、ヨーロッパの教会建築も好きで各国各地で教会建築を見てきた中でもノートルダム大聖堂が今まで見てきた中で1番印象に残っていたので、もう1度見たかったのですが、今日はこれからの予定を考え大聖堂の中を見るのを断念しました。
今日は朝起きてから先ず病院へ行くまでは朝食を食べる気持ちになれなかったので、近くのカフェでクロックムッシュとコーヒーでようやく朝食をし、カフェを出て昨年病院から薬局へ案内された道を歩き始めました。
昨年の記憶を思い出し歩き、昨年は余裕なくフラフラとしながら歩いていたので分からなかったのですが、シテ島にある病院からセーヌ川を南に下っていました。
川を渡ると警官が立っていました。
昨年川を渡り切った同じ場所に立っていた警官に薬局の住所を見せて場所を聞いたのを思い出し、通りを渡り右に曲がると、昨年は朦朧としていて気付かなかったのですが、ずらっと観光店が並んでいる通りを歩きながらサン・ミッシェル大通りに出て左に曲がると薬局を見つけました。
昨年は数日大汗をかきシャワーも浴びれずぼろぼろの状態で歩いていたので誰にも声をかけられませんでしたが、この日は観光店の店頭でいろいろ声をかけられました~(笑)
昨年の人生で1番長く感じた400メートルの足取りを確認し、呪縛から解放された軽快な足取りでメトロのサン・ミッシェル駅に階段を降りました。