2013年ポルトガル・フランス旅 後記 vol.7 |
A1から大西洋側を感じるよう右側へA8を経由し、ナザレ、ペニシェと通過し、A21に入ると予定通りエリセイラへの320kmのドライブでした。
エリセイラの国道N247が海と当たる所がホテルだったので海辺に着くと
直ぐにホテルを見つけることが出来ました。
まずチェックインすると正しくサーファーと一目で分かる男性が温かく迎えてくれました。
今回の旅でエリセイラに泊まるのを選んだ理由は世界的にもレベルが高い屈指のサーフポイントで波乗りし、ポルトガルを感じてみたい想いがありました。
自然と真剣に向き合った時にその国や土地を1番感じられるという自論からでもありました。
いいポイントや今日の波を聞くと詳しく教えてくれましたが、夜7時を過ぎサーフショップはもう閉まっているとの事で明日の朝ショップで板を借り、海に入ることになりました。
持ってきたスプリングのウェットスーツでは冷たいとのことでウェットも借りた方がいいとのことでした。
一昨年、ポルトガルよりもっと北となるフランス・スペインのバスク地方ではスプリングで大丈夫だっただけに平気な感じがしましたが、明日ショップでまた聞いてみることにし、先ず部屋に荷物を運びました。
2階建てベッドの部屋だったので入った時ドキッとしましたが1人部屋でした。
荷物を置いて教えて貰ったサーフポイントを見にすぐ車に乗り、北へ10分位進むと崖の上からポイントが見えました。
崖の上から木の階段を降りて行くとゴツゴツした岩がある海底に綺麗にうねりが入り、割れている波は頭サイズ以上の波が入ってきていました。
エリセイラ付近は海底が岩やウニのリーフと聞いてたのが水が綺麗で透けて見え、また岸側が崖のようになっていてとてもエキゾチックでもありました。
暫く海辺で佇みながら、明日を楽しみにホテルに車を停めて、エリセイラの漁村を歩いてみることに。
村は白と青の壁で統一され、標識も装飾タイルのアズレージョで作られ、まるでロールプレイングゲームに入り込んでしまったような錯覚となり、入り組んだ道を進むと湾内に着き漁船が見えました。
穏やかな湾内からまた入り組んだ道に入るとレストランが何軒か見えてきました。
表からの雰囲気やメニューを見て、直感で決めたお店に入りました。
体調が急変して熱が出ていたのがまだ昨日だというのが信じられない感じもありましたが先ずはビールを。
ポルトガルではレストランで席に座るとパンやオリーブ、生ハム等が勝手に置かれますが、手を付けると伝票につき、食べなかったりいらないと返すと伝票に付かないシステムとなっています。
1皿の量が特に多いと聞いていたのでパンは返し、ビールのアテに生ハムとオリーブをつまみました。
体調を考え温かい野菜のスープを次に頂きましたが、大皿のスープはとろみと野菜の甘味があり身体に染み渡りました。
もう1皿メインで頼んだエリセイラで捕れたタラとくるま海老をクリームソースで頂きましたが、マッシュポテトも特盛です。
ワインはまだ体調を考え、ポルトガルで“緑のワイン”と呼ばれる白ワインのヴィーニョ・ヴェルデをハーフボトルで頂きました。
アルコールも少し低めで軽やかで、微発泡の若さがあり、フレッシュな若飲みワインでごくごくといけますが、まだ完調していないのか、薬が効いているからか酔いが早いです。
完食し最後にコーヒーを。
ポルトガルでビッカと言い、カフェにうるさいポルトガルではコーヒーは通常小さなデミタスカップに注がれるエスプレッソをさし、しかもとても濃くて美味しかったです。
ポルトガル人にはなくてはならないコーヒー=エスプレッソ、とても濃いエスプレッソに大量の砂糖を入れるカフェ文化も楽しむことが出来ました。
お店を出て満腹をこなれさせたく22時を回り暗くなりかけてきた漁村を歩くことにしました。
中心となる広場で寛ぐ人々から1本路地へ入ると人通りも全くなくなりました。
石畳にはエリセイラの紋章が刻まれ、歌に使われもするポルトガルの洗濯女の洗濯場や中世に罪人をみせしめの為に吊るし下げしたペレリーニョ、23時近くなり薄暗くなると青から紺に見える色が白壁により映えるサンタ・マリア教会を見てホテルへ帰りました。
ポルトガル最後の王マヌエル2世がエリセイラからイギリスへ逃亡したことより、ポルトガル王朝終焉の地としての重みを歩きながら感じていました。
ホテルに帰ると暗くなり、明日の波乗りに備え眠りに就きました。