2013年 07月 19日
2013年ポルトガル・フランス旅 後記 vol.9 |
エリセイラからレンタカーを返すリスボン・ポルテラ空港までは45kmばかり約30分程の距離となり、流れに乗って心地よいドライブとなりました。
高速道路A21に乗り、いざポルトガル首都リジュボアへ。
途中レンタカーのガソリンを満タンにして返すためガソリンスタンドへ寄りますが、どの国でもどのタイプを入れたらいいのかいつも迷う瞬間です。
リスボンへ近付き道なりは東京で言う首都高のような分岐点が増えてきました。
ポルテラ空港に順調に向かっていましたが、そろそろ着くのにおかしいなと思う頃には何故か道を間違えてしまっていて、空港から離れてしまっていたようでした。
暫く進み、空港への標識がまた出てきたらとよく見て走りましたが、遠ざかる一方な気がして出口が見てた所で一度降りて、降りてすぐにあるガソリンスタンドへ入り車を停めて聞いてみることにしました。
ガソリンを入れてる40代男性に地図を見せて現在地と空港へを聞きましたが、返ってきたのは早口のポルトガル語で全く解りませんでした。
熱心に何度も伝えようとしてくれる姿から、最低限高速道路に戻るのにライトかレフトか道を聞いても全てポルトガル語です(笑)
自分なりに解釈した中で「オブリガード」とお礼を伝え、車に戻り地図をもう一度確認しているとその男性が戻ってきて連れていってくれるようなジェスチャーをしてくれています。
そこまでは申し訳ないのを片言のポルトガル語で伝えても付いてこいばりのジェスチャーで車に戻り先導してくれました。
先導開始から20分位経つと空港に着きました。
ハザードを点滅し車から降りてきた男性がここだと指を指して自分の車に戻ろうとするので、ちょっと待ってと荷物から浅草の手拭いを出して気持ちをお礼とすると、男性は気にもしてないよという顔つきで手を降り、腕から見えるワイルドな刺青とワイルドな風貌がより優しさを増して感じました。
ガソリンスタンドで東洋人に突然道を聞かれ困っている姿を見て、そこから20分かけて空港へ連れていってくれたポルトガル人の優しい心を頂いた瞬間でした。
南米の血が入ることで運転すると気性が荒くも普段は優しいポルトガル人という意味が分かった気がします。
空港の駐車所にあるレンタカー会社で車を返し、空港内から出ている地下鉄へ向かいました。
空港から街の中心へは南へ約7kmの近さとなります。
空港から地下鉄はレッドラインでアラメダ駅で乗り換え、グリーンラインでホテルのあるロシオ駅へ向かいました。
2つのスーツケースでの移動は液体が入り重い為1つ1つ上へ下へ持っていきますが、盗もうとしても捕まえられる程重いので安心です。
ロシオ駅はリスボンで一番賑やかで24時間眠らないバイシャ地区、旧市街の中心に位置し、駅前のロシオ広場には初代ブラジル国王ドン・ペドロ4世の像と噴水のしぶきの向こうにはドナ・マリア2世国立劇場があり、ホテルは広場沿いにある安宿で、近く過ぎて見落としてしまい中々見つけられませんでした。
安宿らしくミシミシときしむ古い階段を上がりました。
3階までスーツケースを交互に上げるとフロントがあり、チェックインし部屋へはもう1階上がることになりました。
薄暗く狭い部屋にスーツケースを2つ効率がいいように置き、共同シャワーを浴びに行ってからベッドに横たわると…
朝の波乗りとリスボンで無事レンタカーを返せた安堵感から少しウトウトと昼寝していました。
30分位でふと目が覚めたからか心地好い目覚めとなり、着替えて20時頃リスボンの夜を散策しながら夕飯を食べる店を探しにホテルを出るとまだまだ明るいながらもカラッとした湿度から空気が澄んでいて肌寒くなっています。
リスボンは7つの丘の街と呼ばれるだけあり、繁華街となる広場から裏路地へ入ると起伏が激しい坂となり人の気配も無くなりました。
観光通りより裏路地を歩く楽しみは、自分のバーのスタイルのようにフラッと歩いていて目に入るのと違い、わざわざ感のあるお店に出逢える事が出来ることです。
バイシャ地区より西へバイロ・アルトに入り、カルモ教会に着きました。
1389年に建てられ1755年の大地震で石造りの建築をも崩壊させてしまったカルモ教会の前の広場は人もいなくひっそりとし、ゆったりとした雰囲気からゆっくりと歩きながら路地に入り進みました。
石畳の狭い道路に敷かれた市電のレールの向こうに紫のネオンのトリンダーデ劇場が、夜のリスボンのワクワク感を増してくれています。
そろそろお腹も空いたので、ファドハウスやレストラン、バーの多いバイロ・アルト地区でレストランを探すことに。
高速道路A21に乗り、いざポルトガル首都リジュボアへ。
途中レンタカーのガソリンを満タンにして返すためガソリンスタンドへ寄りますが、どの国でもどのタイプを入れたらいいのかいつも迷う瞬間です。
リスボンへ近付き道なりは東京で言う首都高のような分岐点が増えてきました。
ポルテラ空港に順調に向かっていましたが、そろそろ着くのにおかしいなと思う頃には何故か道を間違えてしまっていて、空港から離れてしまっていたようでした。
暫く進み、空港への標識がまた出てきたらとよく見て走りましたが、遠ざかる一方な気がして出口が見てた所で一度降りて、降りてすぐにあるガソリンスタンドへ入り車を停めて聞いてみることにしました。
ガソリンを入れてる40代男性に地図を見せて現在地と空港へを聞きましたが、返ってきたのは早口のポルトガル語で全く解りませんでした。
熱心に何度も伝えようとしてくれる姿から、最低限高速道路に戻るのにライトかレフトか道を聞いても全てポルトガル語です(笑)
自分なりに解釈した中で「オブリガード」とお礼を伝え、車に戻り地図をもう一度確認しているとその男性が戻ってきて連れていってくれるようなジェスチャーをしてくれています。
そこまでは申し訳ないのを片言のポルトガル語で伝えても付いてこいばりのジェスチャーで車に戻り先導してくれました。
先導開始から20分位経つと空港に着きました。
ハザードを点滅し車から降りてきた男性がここだと指を指して自分の車に戻ろうとするので、ちょっと待ってと荷物から浅草の手拭いを出して気持ちをお礼とすると、男性は気にもしてないよという顔つきで手を降り、腕から見えるワイルドな刺青とワイルドな風貌がより優しさを増して感じました。
ガソリンスタンドで東洋人に突然道を聞かれ困っている姿を見て、そこから20分かけて空港へ連れていってくれたポルトガル人の優しい心を頂いた瞬間でした。
南米の血が入ることで運転すると気性が荒くも普段は優しいポルトガル人という意味が分かった気がします。
空港の駐車所にあるレンタカー会社で車を返し、空港内から出ている地下鉄へ向かいました。
空港から街の中心へは南へ約7kmの近さとなります。
空港から地下鉄はレッドラインでアラメダ駅で乗り換え、グリーンラインでホテルのあるロシオ駅へ向かいました。
2つのスーツケースでの移動は液体が入り重い為1つ1つ上へ下へ持っていきますが、盗もうとしても捕まえられる程重いので安心です。
ロシオ駅はリスボンで一番賑やかで24時間眠らないバイシャ地区、旧市街の中心に位置し、駅前のロシオ広場には初代ブラジル国王ドン・ペドロ4世の像と噴水のしぶきの向こうにはドナ・マリア2世国立劇場があり、ホテルは広場沿いにある安宿で、近く過ぎて見落としてしまい中々見つけられませんでした。
安宿らしくミシミシときしむ古い階段を上がりました。
3階までスーツケースを交互に上げるとフロントがあり、チェックインし部屋へはもう1階上がることになりました。
薄暗く狭い部屋にスーツケースを2つ効率がいいように置き、共同シャワーを浴びに行ってからベッドに横たわると…
朝の波乗りとリスボンで無事レンタカーを返せた安堵感から少しウトウトと昼寝していました。
30分位でふと目が覚めたからか心地好い目覚めとなり、着替えて20時頃リスボンの夜を散策しながら夕飯を食べる店を探しにホテルを出るとまだまだ明るいながらもカラッとした湿度から空気が澄んでいて肌寒くなっています。
リスボンは7つの丘の街と呼ばれるだけあり、繁華街となる広場から裏路地へ入ると起伏が激しい坂となり人の気配も無くなりました。
観光通りより裏路地を歩く楽しみは、自分のバーのスタイルのようにフラッと歩いていて目に入るのと違い、わざわざ感のあるお店に出逢える事が出来ることです。
バイシャ地区より西へバイロ・アルトに入り、カルモ教会に着きました。
1389年に建てられ1755年の大地震で石造りの建築をも崩壊させてしまったカルモ教会の前の広場は人もいなくひっそりとし、ゆったりとした雰囲気からゆっくりと歩きながら路地に入り進みました。
石畳の狭い道路に敷かれた市電のレールの向こうに紫のネオンのトリンダーデ劇場が、夜のリスボンのワクワク感を増してくれています。
そろそろお腹も空いたので、ファドハウスやレストラン、バーの多いバイロ・アルト地区でレストランを探すことに。
by doras.nakamori
| 2013-07-19 17:26
| ヨーロッパ旅
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