2014年フランス旅 後記 vol.21(完) |
ベランジェ通りを進むと4方向に分かれるロータリーで迷い、真っ暗な細いシャルロ通りに入ると店舗も何もない通りで不安になってきた。
住所を見ると合っているのであるが、バーらしき看板もない。
しばらく進むと大きな黒人が2人立っていたが通り越し、住所を見ると過ぎているようだ。
あの黒人がいる辺りなはずだ...
時計を見ると22時半となっていて不安になってきた。
戻ってみると黒人が立っている辺りがやっぱりバーの住所であるが、お店がないので黒人に聞いてみることにした。
すると、
「リトル・レッド・ドアはここだ」
と雑居ビルの奥に案内された。
通路を進むと店名となる“小さな赤いドア”が目の前に現れた。
あの2人の黒人はセキュリティだったんだ。
看板もなければセキュリティが立っているので、どういうバーなのか不安になったが扉を押してみた。
中に入るとレンガ壁に薄暗いスタイリッシュな空間が広がり、カウンター、ソファー、奥に上がる中2階全てお客さんで一杯であったが、皆んなゆったりとした表情で寛いでいるのが印象的であった。
お店には2人のバーマンがいた。
笑顔のバーマンが来てくれて、カウンター手間の席が空いていたので座らせてもらった。
先ず名刺を渡して挨拶をし、先週コニャックのギィ・ピナール家でこちらで働くバーマンと出逢って、パリに来たら寄ると約束した旨を伝えると、
「残念だけど今日彼は休みなんだ。もしそれでもよければ飲んでいかない?」
「もちろん」と私は言い、「ジントニックをください」とオーダーした。
看板もない隠れ家バーでセキュリティが守っているからか、中は荒らされない心地よい空間が保たれて、それがお客さん皆んなゆったりとした表情なのであろう。
お客さんの質もとてもよく、地元民しかいないのが空気で伝わってきた。
先ほど話をしたバーマンがお酒を運んだり、会計や洗い物など...サブとして小気味よくテキパキと仕事をしている。
カウンター中央でメインとなるバーマンが全てのオーダーを1人でさばいているが、2人でとても忙しいはずであるが、2人とも笑顔を絶やさず慌てることなくサーヴィスに勤める姿も心地よかった。
オーダーが立て込んでいて中々ジントニックも出てこないが、そんな時間も気にならないゆったりとした空気が流れていた。
グラスにライムが2箇所落とされたジントニックが置かれた。
ピナール家でローランさんがこちらのバーの一行にギィ・ピナール・コニャックの説明をいていた際に、後にローランさんから「彼らのバーはビオロジックのお酒を多く取り扱っているようで、それでうちに勉強に来たみたい。彼らのバーのバックバーにも興味がある」と言っていたのでバックバーを眺めていると、サブバーマンが気を遣ってくれて、忙しい中所作の手を止めずに色々と話しかけてくれていた。
このジントニックのベースもクラフト系のジンを使うなど、大手でなく小さな造り手のボトルが多いのを確認し、その中でわざわざパリからコニャック来てフシニャック村のギィ・ピナール家まで見学に来たのを納得した。
ジントニックを飲んでいると目の前にミネラルウォーターのボトルとグラスが置かれ、聞いてみると「うちのバーではお酒で気持ちよく酔って欲しいし、次の日昨日リトル・レッド・ドアに行って良かったといい思い出を残したいから、ゲストにそれぞれミネラルウォーターを出すんだ」と。
バックバーの下のコールドテーブルを開けると、そこにはミネラルウォーターのボトルがびっちりと詰まって入っていたのを見せてくれた。
しばらく1人の時間を愉しんでいた。
メインバーマンのスローイング(液体を高い位置から落とし空気を入れる手法)も美しい。
手が落ち着いたメインバーマンが来てくれて、名刺を頂いた。
変わった名前だ...
聞いてみるとピョートルといい、パリでバーテンダーをしたくポーランドから来たとのことであった。
サブバーマンが自分の事をしっかりと伝えてくれていた。
「サイドカー」を創って貰った。
思い出に残るサイドカーとなった。
コニャックでの出逢いを大切にして良かった。ピョートルさんとのいい出逢いに話が弾んでいく。
「うちのコスチュームのエプロンを付けてカウンター入って、一緒に写真を撮ろう!」
とピョートルさんから嬉しい一言を頂き、エプロンを付けてカウンターへ入り写真を撮った。
唯一の東洋人がカウンターに入るとお客さん達からも拍手が沸き起こっていた。
店名となる“小さな赤い扉”の前でも。
「ドラスもゲール語で扉を意味するから似てるね」
ピョートルさんとメールアドレスを交換し、またの再会を約束してバーを後にした。
黒人のセキュリティは、興奮しハイテンションで出て行く自分をどうしたんだという視線で見ていた。
温かい時間だった。
地下鉄に乗り、24時になる頃ホテルに帰ったがお腹が空いていた。
ラ・ターブル・ダキヒロでのランチから、タイトなスケジュールで何も食べてなかったのに気づいた。
ホテルのフロントで歩いて近くでこの時間から肉が食べれるお店がないかと聞くと、「友達のいいビストロがある」と自信を持った顔をし、紙に地図を書いてくれた。
昼が全て魚だったので肉を欲していたのであった。
モンマルトル通りを歩くとお店を見つけた。
ホテルで教えて貰った旨を伝えると歓迎してくれ、テーブルへ案内してくれた。
24時を回り深夜にステーキを頬張れる嬉しさも噛み締め、赤ワインも進んでしまう。
今日1日やり切った満足感も味わいを増幅させてくれていた。
一気に食べ終わった。
ホテルに帰りフロントで「美味しかったよ」と伝えると、自信満々な顔をして親指を立てていた。
ベッドに横たわり、満腹に満たされているとそのまま眠りに就いていた。今旅最後の夜が終わった。
9月23日(火)
遂に帰国する日となった。
8時に起きて2つのスーツケースをパッキングし、手荷物の大きなリュックに入るグラス類も入念にチェックし、10時半にチェックアウトした。
1つづつエレベーターでスーツケースを運ぶ。
小さなエレベーターであったが助かった。
例年このまま空港に向かい帰る事になるが、今回初めて夜便となり、半日時間を有効に使える事になる。
ホテルでスーツケースとリュックを預かって貰い、タイトに詰めた予定へと始動する。
サンティエ駅からまずはパリに来ると毎回寄る酒屋にて、スコットランド現地で樽決めするフレンチ・ウイスキー・ボトラーに今回は商談してみたいことが地下鉄に乗り向かった。
今回で4回目の来店となり、伺うと私を覚えていてくれて、20種類近くのテイスティングをさせて貰った。
お願いしようと思っていた厳選した6種類にのウイスキーにBAR DORASの名入りをして貰う。
数軒の酒屋を廻り、その後配送手続きを終えると14時半、まだ時間がある。
オペラ通りをオペラ座方面に歩き、今年も「ハリーズ・バー・ニューヨーク」に向かった。
ここに来るとパリに来たと毎回実感する。
先客は1組だけで「ジンフィズ」をオーダーした。
静寂の時間にホッと一息つき、
今回の旅を振り返る。
今回の旅ではギィ・ピナール家で収穫の手伝いを含め仕事をさせて貰い、今までとは違う旅を経験出来た。
今までの旅でも生産者に会い、その造り手から製造工程を見学させて貰い、感じた全てを持ち帰ってきたが、ふと自らが大学時代に就職活動をしていた時が頭に過っていた。
入社説明会に行き、その会社の説明からいい部分を見て帰る。
今回造り手と一緒になって内部に入り、表には見せない苦労だったり想いを垣間見た。
どの職場でも言えることと思えるが、私達バーテンダーもそうである。
カウンターに立つ華やかな部分はお客様に魅せる部分であるが、営業時間以外はお客様には見せない部分がある。
その両極を垣間見れたことから、今まで感じてきた経験の先を考えられるようになれたのであった。
よりギィ・ピナール家が好きになったのは言うまでもない。
恩返しの旅が終わった。
ホッと一息つく予定が感慨深い時間となり、今回の旅を感じられた。
そんな時間をくれたハリーズバーを出て、ホテルに預けた荷物を取りに向かう。
目の前のあるどっしりと構えるガルニエ宮オペラ座が、交通量の多い慌ただしいパリを受け止めて立っていた。
地下鉄でホテルのあるサンティエ駅で降り、プティ・カロー通りを歩くと可愛らしいビストロに目が留まり入った。
全ての工程を終えてホッとしていたがまだ旅を終えたくなかったのであろう。
ふらっと入った。
やりきった想いを噛みしめるよう、大好物のステーキ&フリットを噛み締めていた。
ギィ・ピナール家での日々を最後にもう一度再現したく、ジオロジック認定を受けた赤ワインをオーダーした。
ロワールはソーミュールの「シャトー・フーケ」。
優しく馴染んでいるカベルネフラン種が染み渡っていく。
今回の旅をなぞるような、おさらいするような、いい食事となった。
全てが糧となった旅であった。
出逢った1人1人、1つ1つの全てにそれぞれの想いが湧いてくる。
完食した皿の中にまた次なる旅を見据えながら・・・(完)