2015年フランス・ベルギー旅 後記 vol.13(完) |
今年の旅は最終日を迎えるが、夜に楽しみであった親友との3つ星レストランでの再会がテロの影響でなくなった。
テロがあり出国をとりやめた親友の悔しさを誰よりも感じていた。
同い年としてフランス現地で勲章を授与された彼の生きる道を尊敬しているし、私は己の道を進む中で期間中にフランスで初めて会える事に何を感じるのだろうか?
それを今回の旅で、自らが全うしてきた旅の最後に感じれる楽しみだったのだろう。
パリでは毎年知人から誘いがあったりと予定が目白押しとなるのだが、そんな想いから他に予定を入れてもそれを超える楽しみを見出せず全て断ってしまった。
ブリュッセルで超厳戒態勢を潜り抜けてパリ入りした昨日は旅は終わったのだろうと心にぽっかりと穴が開き疲れがドッと出て早くに寝てしまった。
目覚めと同時に今日はどうしようかと考えていた。
ブリュッセルでの骨董市がテロを恐れ中止となってしまったが、それを超えるいい出逢いが待ってくれていた。
まだまだ攻めていかなければ後悔するのではないだろうか?
そう思い立つと起き上がった。
着替えてホテルを出てピラミッド駅から地下鉄5号線に乗り、パリ東駅で4号線に乗り変え、4号線終点のクリニャンクール駅へ向かっていた。
クリニャンクールは約3000軒の露天商がひしめき合うパリ最大級の骨董市が土日に開催されているが、月曜日も休みの店はあるがやっていて、平日は骨董市というよりも古美術商が並んでいる。
値付けもそれなりに高値が多いのでクリニャンクールには近年行くことは無かったのだが、久しぶりに行ってみようと気持ちになったのであった。
パリの外れとなり治安が悪いので有名でもあるが、パリ市内のブランドショップに囲まれた中にいるよりも下町生まれの私にとってはその方が落ち着く。
クリニャンクール駅を上がり、露天商が始まる10時までまだ1時間はあるのでコーヒーでも飲もうと周辺を散策してみたが大手ファーストフード店では味気ないと止め、クリニャンクールの青空市へと足を進めた。
テントが並び、衣服を積んで準備している青空市を歩いていると青空市の終わりにキッチンカーが停まっていた。
キッチンカーの中を覗くと人の良さそうなムッシュと目が合った。
「もう直ぐ準備が終わるから目の前のテーブルに座って待ってればいい。」
この先に行ってもまだ露天商はやってないので座らせて貰う事にした。
肌寒いが澄んだ空気が気持ち良く、青空市で出店準備をする黒人をしばらく眺めているとムッシュがテーブルに笑顔で来てくれた。
ムッシュは「うちのキッチンカーは有名なんだ。よかったら何か食べて行かないか?」
テーブルに座っている時に黒板が目に入っていた。
「寒いしオニオンスープで温まりたい。」とムッシュに頼んだ。
ムッシュはキッチンカーに戻るとオニオンスープを持ってきてくれた。
しっかりと煮込まれた飴色の玉ねぎが柔らかく、寒い中で飲むのは格別であった。
とても美味しそうに飲んでいたのだろうか?
ムッシュから「美味しいでしょ。このスープは時間がかかってるんだ。中へ来て鍋を見て欲しい。」
と私を連れてキッチンカーの中に案内した。
人のいいムッシュで写真を撮らせて貰った。
いつも骨董市へ行く前は朝食を摂らないのが私のスタイルであるが、気のいいムッシュを見ていたら今日はいいかなと思えてきた。
何か作りたそうにしているムッシュに折角なので、「ハンバーガーとフリットをお願いします。」とオーダーすると笑顔で料理に取り込んだ。
テーブルで待っているとムッシュがハンバーガーとフリットを持って来た。
ムッシュの人柄が出た温かいハンバーガーはとても旨かった。
駅前のファーストフード店でコーヒーを飲んでいたらこの温かみのあるハンバーガーは食べれなかったと思いながらかぶりつき、一気に食べ終えるとムッシュにコーヒーをお願いした。
ムッシュから「うちのホームページに是非載せたいから写真を撮りたい。車の中へ入って、入って。」と半強引に連れて行かれた。
ムッシュも髭面だがキッチンカーに描かれている髭がトレードマークなのか?
ムッシュから髭の形をした模型を手渡されたので口髭の様にし、キッチンに掛かっていた調理具を手に取ってポーズを取るとムッシュは笑って「最高だ!」と写真を撮った。
撮った写真を送ってあげるからとムッシュとメールアドレス交換をした。
人のいいムッシュに遊んで貰うと時計はあっという間に10時を回り露天商が始まる時間となった。
「もう始まるよ。これから先もスリに気をつけて、カバンは自分の前にかけて。」と最後まで親切なムッシュだった。
慌ただしいパリでの温かい時間となった。
「また会おう!お元気で。」
ムッシュの温かみのある太い声が耳に残ったままガードを超えて露天商に入った。
グラス、
絵画、
タペストリー、
酒造メーカーの販促品、
バイプなどの喫煙具、
ポスター、
水差し、
調度品…
1つ1つが興味深く、私の店に装飾したイメージが湧くアイテムを値段と照らし合わせ購入していく。
いつも旅で購入する物は店の物ばかりとなってしまう。
店を閉めてくるのだから自らへは二の次になってしまうが1つ1つの出逢いを楽しんでいた。
気づけば昼となり購入した物を置きに一度ホテルへ帰った。
再度ホテルを出て例年となるフランスのウイスキーボトラーを訪ねた。
スコットランドの蒸留所へ赴きフランス人に受けそうな樽を決めてくるフレンチボトラーではサンプルを幾つもテイスティングさせて貰い、決めたサンプルからボトルに私の店の「BAR DORAS」ラベルを貼って貰うのが近年恒例となっている。
ここ近年コニャックへ毎年訪れる中、スコットランドへは訪れる事が中々出来ないので、私の店ならではのウイスキーの特徴としてスコットランドでの仕入れと違うラインで勝負するしかない。
購入したボトルの配送を終え、全ての仕事を終えると17時となっていた。
なんだかんだ慌ただしいいつも通りのパリでの時間となっていた。
ホテルへ帰りバスタブに湯を張り、浸かっているとこの2週間の出来事が浮かんできた。
コニャックマラソンでの疲れはそれからの街歩きにより取れてきたのか分からないが、湯に浸かりながら心地よい疲れが癒される。
これで終わりかな…。
ここまで最高の旅となったと思えた。
でも何かが足りない。
尻切れトンボになってしまうのではないだろうか…?
バスタブで目を瞑り頭でそんな事を考えていたが、バスタブから飛んで出た。
急いでスーツに着替えた。
行ってみよう。入れないかもしれないがあの3つ星レストランに行ってみよう!
ホテルを出てパレ・ロワイヤル=ミュゼ・デュ・ルーヴル駅から地下鉄1号線でフランクラン・D・ルーズヴェルト駅で降りた。
大きなロータリーがあるシャンゼリゼ通り沿いはこの時期からクリスマスのイルミネーションが装飾されていた。
シャンゼリゼ通りを渡ると奥に凱旋門を望む。
今旅最後の晩餐として迎え入れて貰えるのか分からない中、気持ちだけは高まっていく自分がいた。
ホテル「ル・ブリストル」に着いた。
一目散に「エピキュール」に向かい重厚な扉を引いたがまだスタッフミーティングをしているところで営業時間前であったようである。
時計も見ないでホテルから来たしまったが19時半開店の10分前であった。
受付の女性が直ぐに来てくれた。
「今日19時半に予約をしていたのですが、予約をしていた友人がテロの影響で日本から来れなくなってしまい彼から予約をキャンセルしていました。ただ私はもうフランスに来ていたので1人になってしまって。今日をとても楽しみにしていたので、もし1席でも空いていたら食事をさせて頂きたいと思い来ました。お願いします!」と出来る限りの想いを伝えた。
「確認しますので表のソファーにお座りになられてお待ちください。」
彼女はそう言うと扉を閉めて戻って行き、私は表のソファーに腰をかけた。
待つしかない。長い10分だった。
19時半に扉が開くと彼女が出てきた。
「大丈夫です。お待たせしました。中へどうぞ」
やった!エピキュールに入れる!
1番客で席に案内されるとスーツの着こなしも風格のあるダンディな男性が来てくれた。
私は先ず予約していたキャンセルの理由と親友の説明、そしてその中で無理を承知で1人で来た想いを伝えた。
名刺を出し自己紹介をし、私の店の説明と掲載となった新聞“シャラント・リーブル”を見せると男性はじっくりと見てくれて「そんな中わざわざいらしてくれて嬉しい限りです。コニャックマラソンを走ったというお客様は当レストランでは記憶にないです。今日は思う存分ゆっくりと楽しんでいってください。何なりとお申し付けください。」と名刺を頂いた。
風格あるマルコ・トニョンさんは支配人であった。
トニョンさんに「小さなプレゼントです。」と手ぬぐいをお渡しすると広げて見ては喜んでくれた。
シェフソムリエが来てグラスでシャンパンをお願いした。
まさか迎え入れてく貰えた高揚感が泡立ちに表れたようシャンパーニュは「エリック・ロデズ」がグラスに注がれ胸も高まる一方だった。
メインダイニングを独り占めという優雅な気分がより味わいをエレガントに増幅してくれていた。
アミューズが2つ運ばれ今旅最後の晩餐が幕開けした。
料理はコースにし、シャンパンの後にグラスで白ワインをお願いするとシェフソムリエが持ってきてくれたのはジャック・カリヨン「ピュリニー・モンラッシェ2011」。
シェフソムリエから「シェフの本です」と手渡されページをめくった。
「タイユヴァン」、「トゥール・ダルジャン」、「ル・クリヨン」と最高級レストランを経由し、1999年よりエピキュールで料理長を務め、M.O.F(フランス最高職人賞)を持つエリック・フレション氏の料理がより楽しみとなった。
本を閉じ目を上げると気づけはテーブルが段々と埋まってきていた。
前菜1皿目はイル・ド・フランス産西洋ネギ。海苔入りバターとグリルにパールブランシュ種牡蠣のタルタル、ワケギとレモンが第1章となる。
赤ワインをボトルで貰おうとワインリストを貰い目を通した。
エピキュールのワインリストを見るのも楽しみの1つだった。
圧巻のリストから幾つか目星をつけているとシェフソムリエが様子を感じて来てくれた。
「ブルゴーニュもボルドーも両方気になるのがあって、今日の料理ですとどちらがおすすめでしょうか?」
「今日の料理にはブルゴーニュの方が合います。」
「ルイ・ジャドのボーヌ1988年はどうでしょうか?今日は熟成して小慣れたのを幾つか見ていて、とてもお値打ちでこれが気になって。」
「とてもいい選択と思います。状態も良く楽しめます。しかもずっとセラーに寝ていたワインでもう僅かしかストックがなく、とてもお値打ちで良く見つけました。」
ワインが決まった。
前菜2皿目はスペシャリテのマカロニ。アーティチョーク、フォアグラ、黒トリュフ詰めでパルメザンチーズでグラタン仕立てとなった。
気づけはほぼ席は埋まっていたが満席ではない。ワインを注いでくれるシェフソムリエに聞くとやっぱりテロの影響でキャンセルが何件も出たと言う。
しかし、1人で食事をしているのは私だけだった。
魚料理はホタテ貝。アルバ産白トリュフとジャガイモのニョッキで焦がしバター風味のクレソンのジュースへ。
ワインが進みどうしようかと思った。
1人1人スタッフの細やかなサーヴィス、圧巻の総合力にゾクゾクとし圧倒されていた。
マジックにかかったようもう1本頼もうかと思えてきた。自らの手綱を引く手を確認した。
メインの肉料理は鹿の背肉をネズの実とロースト。ポルト酒風味のビーツに根セロリのピューレとグラン・ヴヌールソースで。
メイン料理を食べながらもう1本赤ワインを飲むのは止め、食べ終わると同時に赤ワインも空き波長を合わせた。
デセールでシャンパンを1本頼んで私が1杯だけ貰い、これだけ皆さんに気にかけて貰ったお礼に営業後に皆さんで飲んでくださいと言おうと考えていたが…、何かこれは違うと留まった。
そうだ。フロマージュを貰ってカルヴァドスを飲もう。エピキュールを予約してくれた来れなかった親友が一緒に居ると思ってカルヴァドスを飲もう。
リストを貰い1番いいカルヴァドスを見ると「クール・ド・リヨン1958」が目に入った。
1杯1万円になり高い値付けであったが親友を想いカルヴァドスをお願いし、フロマージュはウォシュタイプをカルヴァドスに合わせる。
全サーヴィスマンの美しい連携プレーに目を奪われていた。
いいサーヴィスをする為にはいいサーヴィスを受けた方がいいと言う名言が浮かんできた。
さすがパリ3つ星の底力を体感し圧倒されていた。
若いソムリエからカルヴァドスが運ばれたが…
何でだろう?何故グラッパグラスで運ばれてきたのだろうか?
ノージングをすると鼻を突くトゲが真っ先にきた。グラスが合ってない。
若いソムリエを目で追うと直ぐに気づいて戻ってきた。
「白ワイングラスでいいので1つ持ってきてくれますか?」
若いソムリエは「ウィ、ムッシュ」と離れるとグラスを持ってきてグラッパグラスに入ったカルヴァドスをワイングラスに移し変えようとしたので「失礼ですが私にさせてください。」とグラスを受け取り立ち上がった。
右手に持ったグラッパグラスを高く上げ、左手に持ったワイングラスを低く構え液体を上から下へ細い糸の様に落とした。
シャンパン、白ワインから赤ワインをボトルで飲んでいて酔ってはいたが冷静にスローイングしていた。
空気が入った細い糸の様な液体がワイングラスに1滴も溢れず吸い込まれていく。
左手のワイングラスに吸い込まれたカルヴァドスは劇的に香りが開いていた。
若いソムリエにその香りを提示しているところにシェフソムリエが駆け寄ってきた。
シェフソムリエは若いソムリエを他のサーヴィスに就かせた。
「私は蒸留酒を扱うバーマンとして毎年コニャックを訪れている中で生産者の想いをより少しでも伝道したい。1杯のグラスに想いを注ぎ込む中でグラスの選択もとても大切な要素と思っています。多分このカルヴァドスはまだ開封したばかりではないでしょうか?香りを嗅いで感じました。私のバーではより生産者の想いを伝えたい為に飲み頃までしっかりと味わいを育て、またグラスで味わいを引っ張り出せるようグラスの選択も様々です。失礼と思いましたがそれでグラスを変えてスローイングさせて貰いました。」
このカルヴァドスと向き合いたい気持ちで出た行動だった。この大立ち回りがどう写ったのだろうかとシェフソムリエの顔を覗いた。
「確かに開封して間もないカルヴァドスでした。こんなにも劇的に香りが立って…あのスローイングは素晴らしかった。」
周りの忙しさを関係なくシェフソムリエはそれから私に付きっきりで話をしてくれた。
私も自らのバーのこと、グラスのこと、そして毎年訪れているコニャックのギィ・ピナール家のこと、そしてカクテルにも一部スローイングの技法を使うこと…。
ゾクゾクとする様な総合力のサーヴィスが圧巻でこれまで感じていたが、“蒸留酒では負けない”とスイッチがこの時入っていたのだろう。
結果シェフソムリエと“一座建立”が生まれていた。
デセール1つ目はモントン産レモンをリモンチェッロとシャーベットに。洋梨とレモンコンフィ風味で
シェフソムリエが興味を持ってくれていたコニャック現地の話をしているとカルヴァドスが空いてしまった。
デセール2つ目はニャンボチョコレート。カカオソース、クリスピーなチュイルに金箔のソルベが出た。
やっぱり最後はコニャックで締めたい。
ずっと側に居るシェフソムリエに今年の旅では初めてレロー家を訪ねて感動した話をすると
「レロー家の歴史に残るヴィンテージがあります。しかも1950年ものです。」
そう言ってリストを私に見せた。
1杯2万円で破格であった…。
しかしここまでレローの話をしていて断るのはどうかと1つ返事に頂くことにした。
レロー1950が大きなコニャックグラスで提供された瞬間からテーブルはコニャックの香りに包まれていた。
コニャックはまさに香りを飲む酒だというよう、時間をかけて変化していく香りを楽しみ、1口1口が染み渡り感動が押し寄せた。
プティ・フールともコニャックを合わせゆっくりと味わいを開かせた。
素晴らしいコニャックの長い余韻のまま最後の晩餐が幕を閉じた。
会計を済ませるとトニョンさんが「表までお送りしましょう。」とホテルの外で待機しているタクシーまで送ってくれた。
タクシーに乗ると緊張から解放されたよう完全燃焼となった。全力でエピキュールに向かい合った。
3つ星レストランは1人では受けてくれないだろう…?
早くから予約で埋まっているので突然行っても受けてくれないだろう…?
今回のテロ騒動がなければエピキュールに1人で行こうなんて思わなかっただろう。
テロの影響で日本からも沢山の連絡を貰った。
テロ後の1ヶ月半で日本からフランスへの観光客は2万8千件のキャンセルが出たのは事実であった。
温度差もあり集中することが難しい旅であったが、私にとっては何も変わることなく旅を続けてきた。
確かに取り調べされたり列車の遅れ等で時間のロスはあったが、逆にこういう時だからこそ得るものがあると信じ、“今”を大切に自分らしく後悔なく精一杯生きたいと思って突き進んできた。
エピキュールに向かうという選択は自らの旅を象徴していた。
大切ものは待っていても訪れてこない。
その大切なものを自らが動き掴み取るというスタイルが結果として最高の旅になったと思っている。
自らの旅を再認識する旅となった。
胸を張って帰ろう。
完全燃焼しタクシーに揺られながらも、まだまだ得るものを貪欲に探し続けていた。
次の旅へと…
À bientôt !!
《完》
読んでいてゾクゾクきましたよ。スローイング。
(*^o^*)