2016年フランス・イタリア旅後記録 vol.2 |
ご主人の温かい気持ちが注がれたウイスキーが小さな硬いベッドも心地良く感じていた。
朝8時に起きて共同使用のシャワーを浴び、朝食を採ろうとゲストハウスのあるXXセッテンブレ通り沿いを歩いているとエスプレッソのいい香りが漂うカフェに引き寄せられた。
ウインドー内にある中から選んだパニーニを温めて貰い、濃いエスプレッソにたっぷりの砂糖を落としたままエスプレッソを飲み干し、最後に底に沈んだエスプレッソが染み込んだ砂糖をスプーンで舐める私の好きな飲み方で血糖値も上がり、日本から丸一日かけて到着した疲れも和らぐいい目覚めとなった。
カフェを出てゲストハウスで教えて貰ったスーパーへと向かった。
水などの飲料を中心に買い込んだが、スーパーではその土地や庶民の生活の香りを1番に感じることが出来るので旅先では必ず直ぐに立ち寄ることにしている。
一度ゲストハウスに戻り買い込んだ物を置き、
清々しい青空のフェッラーリ広場から人の気配の無い落書きされたダークな裏路地を進み、
旧市街の目的地へと向かう。
イタリア行きが決まった第3の理由は、中に含まれる成分から現在日本への輸入が出来ないハーブリキュールやオールドリキュールを探したいと思っていた。
旅前に情報を得ていた酒屋で古き時代のハーブリキュールの数々に早速出逢った。
早くも10本以上の出逢いとなったリキュールを両手に分けるが重い。
それらをコニャックを経由し最終地点のパリで配送するまで旅を共にするんだと始まったばかりの旅で思いながらゲストハウスへと戻った。
この日のジェノヴァの気温は18度で、またヨーロッパ特有のカラッとした湿度から清々しかったが部屋で仕入れたリキュールを置くと汗ばんでいた。
この後スーツに着替えるのでもう一度サッとシャワーを浴びて13時にゲストハウスを出たが、レセプションの青年は突然のスーツ姿に目が留まっていたので「ビジネスに行ってきます」と言うと「グッド・ラック」と見送ってくれていた。
スーツに着替えた理由はジェノヴァに本拠を構える商社のヴェリエ社にアポイントを14時に取ってあったからであった。
それがイタリア行きが決まった第4の理由であった。
ヴェリエ社はウイスキーやワインまで幅広く酒類の輸入販売をしている酒商であるが、そのヴェリエ社向けにリリースされるスコッチウイスキーを私の店で提供していることからいつか訪れ、出来たら日本に輸入のない商品を購入させて頂きたいと思っていた。
今旅ではコニャックの造り手へ自らが1軒1軒メールを送りアポイントを取ってきたが、大きな商社へのアポイントは信頼性が増す意味を踏まえ日本のインポーターにアポイントをお願いしていた。
XXセッテンブレ通りを南に先ずは通りの突き当たりまで20分かけて歩いた。
新市街に入りイタリアでビジネスマンに混ざりスーツ姿で歩いているのも気持ち良く、背筋が自然と伸びていた。
突き当たると階段があり、地図を見るとヴェリエ社へは高台へと向かうようで階段を上がった。
ジェノヴァの市内から一気に静かになり、
無音の静かな階段を更に上がって行くとフランチェスコ・ポッツォ通りに出て、通りを更に上がって行く。
地図を見ながらアルバロ通りに入り、細いジョルジョ・ビロン通りに入ると着くはずであるが不安になってきた。
そんな中携帯電話が突然鳴った。見るとヴェリエ社のアポイント取ってくれた日本のインポーターからで嫌な予感がした。
「中森さん、もう向かっちゃってますか?ヴェリエ社から今連絡があって、社長が昼食で出ていて戻るのが1時間遅くなってしまうみたいなんです。かなり破天荒な人で有名なので会えるのを祈るという感じです…」
旅の貴重な時間をまったく…
もう近くまで来てしまっているのでとりあえずヴェリエ社へと向かった。
ジョルジョ・ビロン通りを上がると閉まった門の脇のインターフォンに「Velier」の文字があり、先ずは無事に着いて安心した。
インターフォンを押し今日アポイントを取ってある旨を伝えると門が開き、坂を更に上がって行くと邸宅が見えた。
ここが会社なのか…? 階段があり、とりあえず登ってみることにした。
2階へ上がるとヴェリエ社の受付があった。
扉を押すと女性が出てきてくれて名刺を出して挨拶をし、ルカ・ガルガーノ社長とアポイントを取ってある旨を伝えると「ルカは外出していてまだ戻ってません」と言うので、先ほどあった日本のインポーターからの連絡を話した。
まだ13時40分なのでどこか待ってられる場所を聞くと坂を下った通りにカフェもあるのを聞き、3時にもう一度と仕切り直すと言い坂を下りた。
昼食を自分も食べて無かったので、せっかくジェノヴァに来たのだからジェノベーゼのパスタを食べたいと坂を下った辺りで店を探した。
目についたカフェに入ったがピザしかないと言うのでカフェを出て、更に歩くとバーが併設されたレストランを1軒見つけ、ジェノベーゼのパスタがあるとのことで入店を決めた。
14時を過ぎランチ時間が気になって聞くと、「まだ大丈夫」と言うのでスプマンテをボトルでお願いした。
ヴェリエ社のアポイントまでは飲まないで行こうと思っていたが、社長がランチで1時間遅れるなら飲んでしまおうと切り替えてしまった。
スプマンテは「レヴィル」のブリュット(辛口)。
爽やかな晴天で気持ちのいい昼下がりにキレのあるスプマンテがより美味しく感じてしまう。
ジェノベーゼはジャガイモと小麦粉が原料となるニョッキに絡まり運ばれた。
もちもちっとした食感とバジルの香りでスプマンテがスルスルと進んでしまった。
他のお客も居なくランチ営業が終わる雰囲気を感じたのでエスプレッソを貰い会計をお願いすると、バーの中にいた女性が会計を持って来てくれたので「残したスプマンテを休憩で皆さんでどうぞ」と差し出すと、「最高ね!嬉しいわ」と一気にテンションが上がっていた。
その表情を撮りたくカメラを出すと「一緒に撮りたいわ」と言うので1枚一緒に撮ることになった(笑)
1時間アポイントが急遽ずれたがお陰で思いがけない楽しいランチとなった。
ヴェリエ社に戻ると社長は戻って来てるようで“破天荒”と言うキーワードが耳に残っていたので会えることにホッとした。
「ルカが来るまでこちらでお待ちください。」と女性に案内された部屋はまるでバーのような空間であった。
カウンター内にいる大男が水を出してくれ、カウンターに座るよう案内してくれた。
聞くとここはミクソロジールームでゲストにヴェリエ社が扱う商品やカクテルをサーヴィスしていると言う。
そこにルカ・ガルガーノ社長が現れた。
とても陽気そうな優しい笑顔で握手で迎えてくれ、隣の部屋へと案内してくれた。
初めて会うルカさんに自己紹介をしながら、今旅ではコニャックでフランス語しか通じない小さな造り手を廻る際のために、昨年コニャック地方の地元新聞「シャランテ・リーブル」に掲載となったコニャックマラソンでの記事をカラーコピーし、自身の紹介記事と共に自らを如何に瞬間でアピール出来るかという意味でプレゼン用に持って来ていたのであるが、ここはイタリアであったが資料を渡して見せるとルカさんは黙って記事を見つめ続けていた。
記事はフランス語であったため、「写真に写っている女性はフランス人のマリー=ジョゼ・ペレクです。彼女は陸上のスプリンターで1990年代に5つ金メダルを取ったヒロインで知ってますか?」とルカさんに聞いてみた。
しばらくの沈黙からルカさんが顔を上げ、懐かしそうな顔で「彼女とは親しかったよ。ファッションモデルとしても有名だった。もう20年以上前の話になるが、よく会っては飲んだのを覚えてるよ…」
まさかそんな返しがあると思わなかったのでとっさに「どこで知り合ったのですか?」と聞いてしまった。
「パリの街で出会って声を掛けたんだ。彼女はパリ・コレクションに出るためにパリに来ていたんだ。目の前に180センチの長身で抜群のプロポーションの女性が現れたのが彼女で…お互いまだ若かった。写真を見てびっくりしたよ。でもあの時と変わらない…」
まさかの展開にお互いがびっくりし、初対面の人にどこまで聞いていいものか言葉を考えながら、「ではルカさんはフランス語も話せるのですか?」とふとフランス語で聞いてみた。
「彼女と知り合ってフランス語をとにかく勉強したよ」と流暢なフランス語を披露してくれた。
自己紹介用のプレゼンが思いがけない展開を生んだが、一気にルカさんとの距離が縮まったのを明確に感じていた。
ルカさんから「色々テイスティングをして欲しい」と先ほどのミクソロジールームへと移動し、ソファーに腰をかけるとルカさんはスタッフを呼んでタバコを1本貰って火を付けると深く吸い込んだ煙をゆっくりと細く吐き出した。
意外な写真を見せられさぞ懐かしかったのか空想にふける姿を見て、これ以上深く聞くのはやめようとルカさんに「自分のバーでヴェリエ社向けに詰められたウイスキーのオールドボトルを提供しています」と言い写真を見せた。
「これもびっくりだ。もう自分も持っていない。今はウイスキー市場の価格が高くウイスキーでなくラムをうちの会社では展開しているんだ」とミクソロジールームを担当している先ほどの大男のミクソロジストにラムを持ってこさせずらっと並べた。
ルカさんは1つ1つを説明しながらテイスティンググラスにラムを注ぎ私に差し出してくれた。
ボトラーとしてウイスキーをリリースしていたのは私のバーで扱う商品から知っていたが、ラムのボトラーとしてもオリジナルボトルをリリースし、そのセレクションは世界中の愛好家から絶大な人気を誇っていたのであった。
ルカさんが持つラムの蒸留所とのコネクションからこのような良質な樽を選び、樽出しでリリースしている1つ1つを感じていた。
樽出しのラムばかりで60度から68度までの高いアルコール度数が続くハードなテイスティングとなったが、大男のミクソロジストが口休めにと1杯目にテイスティングしたホワイトラム「クレラン・サジュ」のジンジャービアー割りを目の前で創ってくれた。
ヨーロッパの扉を意味する屋号を持つ私のバーではラムはRUMの表記でないRHUMとHが入るフランス領が造るもの、イギリスでボトリングされたものなどヨーロッパに関わるラムを展開しているが、イタリア向けとなるこれは面白いと思った。
そんな話をルカさんにすると「是非飲んで欲しい」と出してくれたラムはフランス領マルティニーク島の「セント・ジェームス」でヴィンテージは何と1934年と世紀のヴィンテージ1952年であった。
「もう僅かだから少し味は落ちているかもしれない」と言うが言葉はいらない美酒にテイスティングを忘れるほど余韻に浸ってしまった自分がいた。
「最後にこれを」と出してくれたのはサンプルボトルで「カロニ1994」のラムであった。
濃厚なボディーで良質なシェリーカスクのウイスキーを飲んでいるような感覚さえある味わいにルカさんに中身を聞いてみた。
ラムの詳細はトリニダード・トバゴで1994年から2008年まで熟成させその後ガイアナへ運び、2016年まで再び熟成させ、最後にスコットランドへ渡りベンリアック蒸溜所でボトリングし、来年ヴェリエ社でリリースするまだ市場に出る前のサンプルであり、私がテイスティングする姿をタバコを燻らしながら優しい目で見ていたルカさんから「気に入ったならどうぞ」と貴重なサンプルボトルのお土産まで頂いてしまった。
ミクソロジールームからルカさんの社長室へと移るとソファーに2人で座った。
チョコレートを出して口に入れたルカさんは「うちが扱うチョコレートでラムと合うんだ」と私にも差し出し口に入れるとカカオ分の高いビターで、確かに先ほどテイスティングしたラムとの相性を感じていた。
ソファーからルカさんはデスクのパソコンを立ち上げ、クリスティーズのオークションで落としたと言う壮大なリストを見せてくれた。
部屋にある1700年代〜1800年代ヴィンテージのラムコレクションの現物も見させてもらった。
今回テイスティングさせて頂いた中からラムを購入させて欲しいと申すとこれ以上ないお気持ちを頂き、お土産にと先ほどのチョコレートまで頂き、気づけば15時から17時半まで2時間半に渡りルカさんに時間を割いて貰ったがあっという間の時間であった。
ルカさんの社長室からジェノヴァの市街をしばらく見続けいた。
若い社員をルカさんは呼んで来ると先ほど渡したコニャックマラソンの記事を見せて「まさかマリー=ジョゼ・ペレクと写っているんだよ」と驚きを隠さない姿に人の良さを垣間見た。
苦笑いをしている社員に「夜、彼を一緒に食事に連れて行ってあげなさい」とルカさんは言うと私の滞在している滞在先を社員に確認させ、20時に迎えに行くとその場のアドリブで予定が決まった。
「タクシーが下にもう待機しているから」と言うルカさんとのお別れとなった。
タクシーに乗り行き先を言う前に運転手は「もう聞いてます」と車を発進させた。
宿泊しているゲストハウスの前に着き、タクシー代を支払おうとすると運転手は「もうルカから貰っています」と言う。
アポイントが直前に1時間遅れたので最初はどうなることかと思ったし、これだけ待遇してくれるとは思ってもいなかった。
数々に完敗だった。
予想していたより長い時間ヴェリエ社にお世話になり、20時にヴェリエ社の社員が迎えに来るまで2時間しかない。
ゲストハウスを直ぐに飛び出し早歩きで旧市街へ向かった。
旧市街の迷路道に入り込むと目当てであったルッコリ通りを探した。
イタリア行きを決めた第5の理由がグラス類のアンティーク探しであり、昨年のベルギーでの出逢いの数々から今年も期待していた。
ロールプレイングゲームのような迷路道からルッコリ通りを見つけるとここだと感じるアンティーク店を直ぐに見つけることができ入ってみた。
店を始めて最初の旅でのイタリアではヴェネチアで多くの出逢いが待っていたが、今となっては買わなかっただろうと思うグラスも中にはあった。
あれから10年の間にアンティーク市やショップを廻る中で年々選別力を増し見極めてきた自負もあった。
だからこそあれから10年、久々のイタリアで出逢いだけでなくどう感じるのかも楽しみだった。
目の前には輝かしい数々の素晴らしいアンティークグラスが並んでいたが、私のラインとなる価格との折り合いがつかず購入には至らなかった。
今回は残念であったが出逢いも旅も一期一会。また引き寄せられる時が来るであろう。
店を出てゲストハウスに戻り20時にヴェリエ社の社員ピエール・パウロさんが1人迎えに来てくれた。
どのような流れになるのかも分からないままフェッラーリ広場を裏手に旧市街へ一緒に向かった。
サン・マッテオ教会、ドゥカーレ宮殿と歩きながら重厚な建築物の様式美を受け止めていた。
更に裏路地を進むと着いたようだ。
階段を上がるとこの重厚な建築物の中にレストランがあると言う。
案内された店は料理とカクテルの店のようだ。
私がバーテンダーだからと考えてくれたのを感じた。
待ち合わせは現地集合らしく、その後直ぐに集まったのが同じくヴェリエ社の社員であるマルコ・カレガリさんで3人で乾杯。
石のコースターの上に運ばれたカクテルはカンパリベースでピンクグレープフルーツジュースとスペインのスパークリングのカヴァーを使ったショートカクテルで、食前に爽やかな酸が心地良い。
日本のウイスキーが大好きだと言うマルコさんは日本のウイスキー業界について、またコレクションしている日本のウイスキーについて語り始めた。
また、マルコさんが言うにはこの建物は1700年代のそのままを使っているらしい。
イワシのフリットとスペイン風オムレツをつまみにメニューを貰った。
「メイド(Maid)・イン・ジェノヴァ」というカクテルをオーダーした。
ハバナクラブ3年のラムをベースにキュウリ、フレッシュミント、フェンネル・リキュール、レモンジュース、ソーダを使ったショートカクテルが運ばれた。
ピエールさん、マルコさんに日本でも近年多いスタイルとフランスでも近年見る料理とカクテルのペアリングがこのジェノヴァでも人気があるのか聞いてみると、まだジェノヴァでは殆ど無く、このお店が1番だと言う。
そこにもう1人ヴェリエ社のフィリッポ・コロンボさんが来たところで店を移そうとなった。
細い路地の旧市街を奥地に進んで行く。
細い路地沿いにあるレストランはレンガ造りのアールヌーヴォー様式で素晴らしい内装に暫く見惚れてしまった。
この時、私の店の内装で風化レンガを繋ぐ目地を埋め込んで改装しようとインスピレーションが生まれていた。
仕入れだけでなく欧州で感じたことを1つづつ持ち帰り、店も改装を重ね10年で変化してきた。
帰国してが楽しみとなった。
奥はレストランとしてビストロ料理を、手前のバーの空間ではタパスやピンチョスを提供していて、私達は奥のレストランに案内されると1つだけ空いたテーブルに予約のプレートが置いてあり、予約してくれていたようであった。
グラスで赤ワインを貰い飲みながら、メニューからそれぞれ皆んな食べたいのを選んでとなりメニューを物色した。
炭水化物を欲し、ナポリ県のラッタリ山地の中にあるグラニャーノ産のパスタに決めた。
パスタ発祥の地と云われ、デュラム小麦のセモリナ粉から造られる歴史あるパスタである。
生の車海老とエシャロットに乾燥パプリカと甲殻類をベースとしたソースを絡めた1皿をオーダーした。
ワインはピエールさんがリストから白ワインを1本選んだ。
スペイン産の「アルバマル」で品種はアルバリーニョが開けられ、皆んなで再度乾杯。
目の前に座っていたトリノが出身のマルコさんから、次にイタリアに来る際には自分がピエモンテを案内したいと温かい気持ちを頂き、とてもいい食事となった。
ピエールさんからドルチェでもと勧められ、ムースを食べているとポートワインもいつの間にかオーダーしてくれていて、女性だったら落とされてしまうなと思う格好良さであった。
1軒目、2軒目といつの間にかピエールさんはお会計を済ませていて、もう1軒行こうと席を立った。
細い迷路道を歩いて赤の宮殿の裏手にカジュアルなバールがあり入った。
流れから正直なぜここに来たのだろうと思ったが、店の奥へと案内されると秘密の扉が開いた。
真っ暗な階段を降りていくと穴蔵のような真っ暗な空間に大きなシャンデリアが目に入った。
奥のテーブル席へ案内されるが凄い空間力にフィリッポさんに聞いてみるとここは会員制のシークレットバーと言う。
石と風化レンガ、間接照明を上手く使った非日常空間に入り込んだ。
それぞれ好きなものを頼もうと全員がそれぞれのカクテルを頂いた。
選んだカクテルはイタリアンブランデーをベースにスイートベルモットのカルパノ・アンティカ・フォーミュラ、苦味薬草リキュールのフェルネット・ブランカをステアし、オレンジのツイストが添えられ、縁のあるシルバーのコースターにはコーヒー豆が転がっていた。
締めのカクテルに相応しいカクテルとなった。
同じカクテルを飲んだマルコさんから明日の予定を聞かれ、明日は1日だけプライベートを取りジェノヴァからレンタカーでヴァラッツェへサーフィンしに1泊すると言うと3人とも驚き、イタリア人にとってサーフィンはあまり縁がないと聞いていたが面白かったのか話が尽きず、和気藹々気づけば深夜1時となっていた。
皆んな次の日も仕事であるが遅くまで付き合ってくれて、
帰り際にカウンターでピエールさんが会計をしようとした時に最後位私が支払いしたいと言うが「ルカから頼まれているから」と最後まで受けてはくれなかった。
バーテンダーが注いだ4つのショットグラスが手渡され、またの再会にと乾杯し皆んなで一気に飲み干した。
テキーラと思って飲み干すと違った。
アルコールも40度あるメキシコのプエブラで造られるリュウゼツランと唐辛子のチリリキュール「アンチョ・レイエス」を始めてここで飲んだが、辛旨で皆んなが笑顔になって店を出た。
細い迷路道は複雑で3人が3人こっちだと迷いながら進む姿にマルコさんは「地元人でも迷うんだ」と笑っていた。
フェッラーリ広場まで来るとここまで来ればもう分かるから大丈夫と伝え、お別れとなった。
20時から3軒はしごし、深夜まであっという間の時間だった。
昼にルカさんとのアポイントが急遽1時間遅れたことも微笑ましいと思った。
会った瞬間に以前にも会ったかのような陽気さ、気前良く粋で、社員に私を楽しませるよう指示しそれを全うするボスへの愛、人を常に楽しまそうとサービス心溢れた姿、サプライズの連続をスタイリッシュにクールにさりげなく振る舞うイタリア人は男としても最高だった。
帰国して分かったことだが、私をエスコートしてくれた3人は同世代位と思っていたのだが、なんと私よりも一回り以上下となる20代でとても紳士で大人なイタリアンだった。
イタリア人ってこういう人種なんだなと、生涯忘れられない1日となったのは間違いないだろう。
ゲストハウスに戻り、次の日の朝にチェックアウトするがこの余韻のまま1日を終えたいと荷造りは朝にしてベッドに入ったが、興奮して眠りに就けない夜となった。