2016年フランス・イタリア旅後記録 vol.7 |
7時半に起きてダイニングに向かうと月曜日の朝の雰囲気が漂っている。
ローランさんはユキコちゃんを中学校ヘ送り職場のコニャック協会へ、ジュンコさんはタクミくんを小学校へ送り職場のピナール家へと、休み明けとこれから始まる週の始まりの空気が私にも浸透していた。
旅とは何かと自らが大切にしているものを再認識した日曜日が明け、旅のラストスパートへと緩んだ時間から一気にスイッチが入り、集中力がより増したのを月曜日のいい空気感の中自らも感じる出発となった。
今日3軒、明日3軒とコニャックの造り手を廻るアポイントを旅前に取ってあったが、今回は今まで訪れたことがなく日本に輸入もされていない少量生産の小規模な造り手を訪ね、新規開拓してみたいと、インターネットで造り手のホームページを見つけては1軒1軒フランス語でのメールを作成しアポイントを取ってきていた。
仕入れに関しても出来る限り酒屋等中間が入らない造り手から直接購入し、その分お客様に還元したい。
旅のプランを立ててその土地に向かい、全てを自らがコーディネートしていく旅と同様に、アポイントに関してもD.I.Yの精神で向かいたいと、旅が年々進む中で仕入れに関しても旅と同じよう深く突いていきたい思想が深まっているのだろう。
8時半にレンタカーに乗り込みエンジンをかけ出発となった。
コニャック町中央へ向かう高速道路からD736道を真っ直ぐ進みスゴンザック町の中心に向かった。
畑道を進むと4つの道路がぶつかるところがスゴンザック町の中心となるが、スゴンザック町と言ってもその一角だけが町となり、その一角以外は畑しかない。
ヨーロッパのどの町にも町の中心に聳え立つ教会があるが、ここスゴンザックでも町の中心に教会があり車を停めた。
教会の前には初めてコニャックを訪れた際に泊まったホテル「シュバリエ・デラ・クロワ・ マロン」があり、それ以降も毎年昼食で寄っている。
1軒目のアポイントの10時まで約1時間あるのでホテルへ朝食を摂りに向かった。
ホテルに入るといつも変わらない空気が流れている。
ホテルで働くセドリックさんとも再会となり、今日の昼にまた食事に来る旨と朝食にチーズと生ハムが挟まったバゲットをお願いした。
今日はコニャックのテイスティングが多くなるのを想定し、チーズと生ハムの油分で胃に膜を作り1軒目の「レイモン・デッス」家に向かった。
レイモン・デッスとの出逢いは昨年の旅で先ほど車を停めたスゴンザック町の中心地にあるコニャック専門店「メゾン・ド・ラ・グランド・シャンパーニュ」であった。
このコニャック専門店は隣接する観光案内所と中扉で繋がっていて、スゴンザックを中心とした17つの小さな造り手が自家のコニャックを蒸留所での販売価格と同じ金額で出し合い、町をあげて土地のコニャックを知ってもらおうと200種類の銘柄が陳列されていて、惜しむことなく色々とテイスティングさせてくれる。
またメゾン・ド・ラ・グランド・シャンパーニュの名は生産者達の組合名でもあった。
無名の知らない造り手ばかりの中で“遺産”を意味する「エリタージュ」が表記されたレイモン・デッスが破格だったため購入し、そして素晴らしい味わいから是非来年訪ねてみたいと思っていた。
小さな造り手では訪問しても畑に出てしまって留守だったり、時期的に収穫期間と重なってしまうと迷惑なのと、旅での限られた時間を無駄にしたくなく事前にアポイントを取っていた。
その中で、収穫期間に重なりアポイントが取れなかったり返信が無かった造り手もあったが、レイモン・デッスからは直ぐに返信があり、1番最初に決まったのもあって気持ちの高まりが大きかった。
調べていた住所からレイモン・デッス家に着いた。
レイモン・デッスのポストもあったのでここだろうと車で門をくぐり敷地内に入るが造り手らしい設備がなく、インターフォンを押すが誰も出てこない。
ここはデッス家の自宅のようであった。
車を停めたまま門を出てD736沿いをスゴンザック町へ向けて歩くとレイモン・デッスの蒸留所を見つけ、無事10時のアポイントの時間に辿り着いた。
出てきてくれたのがレイモン・デッスさん本人で迎え入れてくれ、自己紹介をし訪れた経緯を伝える。
英語は話せないのは予想通りであったが、数年前から通っていたフランス語学校で壁にぶち当たり、今年に入り学校を会話学校へ変えていたのであるが、そのフランス人の先生からのアドバイスで先ず伝えるという大切なことを教えて貰ってきたのを試す時がきた。
まだまだ全然勉強が足りないが、先方に時間を作って貰い訪ねる中では意思疎通が出来ないと迷惑をかけてしまうので語学の重要性を年々強く感じている。
レイモンさんから造りを説明しましょうと早速蒸留所内を案内をして貰うことになった。
先週収穫を無事に終え、10基ある醸造タンクで約1週間ブドウ果汁を発酵させ蒸留への工程となる蒸留器と対面した。
2日かけて1樽分の原酒を蒸留をし、それを2ヶ月続ける大変な稼動がこれから待っていると言う。
貯蔵庫を案内してくれるとレイモンさんは次々に樽から原酒を組み上げてテイスティングしながらの説明をしてくれた。
コニャックは蒸留後、先ず新樽に入れて熟成となる。
その新樽は1樽800ユーロととても高価となっているが、そのリムーザン産オークの樽には「レミーマルタン」のロゴが刻印され、大手との共存関係を垣間見ることが出来る。
また、レミーマルタン向けの蒸留では香り高いコニャックを造る為に澱も一緒に蒸留することが義務となっているようである。
貯蔵庫で4年の熟成を経てレミーマルタン社に樽を売り、少量はビスキー社にも樽を流していると見せてくれる樽には“Bisq”とチョークで書かれてある。
大手との共存で大手コニャックの原酒を造る中で、無名なレイモン・デッスの自家生産コニャックは極少量となるが、品質は飛び抜けて素晴らしい。
昨年購入したエリタージュの樽を見せて貰うと、中身は“1970-1973-1975”年の原酒が入っているのを指し、樽からのテイスティングではゾクゾクと鳥肌が立つ感動が押し寄せてきた。
こんな素晴らしい原酒がこんな価格で出せるなんて…
「日本でこの素晴らしいコニャックを知ってもらいたい」と輸出を聞いた。
「一切輸出はしないし、パリ等の国内流通もしない」と断固なレイモンさんとエリタージュの突き抜けた強さがマッチしていた。
レイモンさんにエリタージュを数本購入したい旨を伝えると、「現在ここには在庫がないので車に乗ってください」と助手席に案内された。
向かったのは車で2分の距離となる、レイモン・デッスとの出逢いとなったメゾン・ド・ラ・グランド・シャンパーニュであった。
「今日は定休日だけど特別に開けます」とシャッターを開けるレイモンさんに蒸留所と同じ価格で販売されているエリタージュも購入させて頂いた。
何とレイモンさんはこの17つの小さな造り手が集まってコニャックを販売するコニャック専門店及び組合の会長とのことであった。
車でレイモンさんの家に泊めさせて貰っていたレンタカーまで送って貰い、また来年の再会を約束し後にし、スゴンザック町の教会へ戻りレンタカーを停めると12時となっていた。
ホテルへ昼食に向かった。
セドリックさんが席に案内してくれ、壁に書かれたメニューから今日は1頭の豚から少量しか取れなくとても柔らかいブイとなるフィレ・ミニョンがおすすめだと言うのでお願いし、「フリットもたっぷりと」と付け加えるとニコッと満面の笑みで親指を立ててくれた。
集中した2時間をビールでリラックスした。
豚肉が出てローカルな白ワインを合わす。
旅も後半に入り豚肉を欲していたのもあり、これはたまらなかった。
コーヒーを飲み少しゆっくりとしてからレンタカーに戻り、次の13時のアポイントとなるスゴンザックの「ブルイユ・ド・スゴンザック」へ向かった。
スゴンザック中心からD18を真っ直ぐ3分の距離でブルイユ・ド・スゴンザック家に到着した。
インターフォンを押すと出てきてくれたのは奥様のマリア・ブリエさんで、アポイントのメールを返信してくれた女性であり笑顔で歓迎してくれた。
少し待って欲しいとのことでレセプションへ案内された。
しばらく待つとマリアさん自身が案内してくれるとのことで扉を開けて早速蒸留所に向かった。
マリアさんの穏やかな表情でゆったりとした雰囲気から「無事今年の収穫が終わったのですか?」と聞くと「ええ。先週無事に収穫を終えまして、醸造タンクには収穫後ブドウをプレスし6日目となるブドウ果汁が発酵中です。」と1年で大切な収穫作業を終えた安堵感が溢れているのが表情に表れていた。
ブルイユ・ド・スゴンザックは1998年に農薬や化学肥料を使わないオーガニック転換をし、数少ないオーガニック認定された造り手であるが、オーガニック認定された第一人者であるギィ・ピナールに毎年行っている私にとって、ブルイユ・ド・スゴンザックはとても興味深い造り手で訪問がとても楽しみでもあった。
「フシニャックのギィ・ピナールを知っていますか?」
「もちろん。いち早くオーガニック認定された素晴らしい生産者です。」
「私はギィ・ピナールに毎年ホームステイさせて貰っていて一昨年は希少なフォル・ブランシュ種の手摘み収穫のお手伝いもしています。でも今年5月27日に大量の雹(ひょう)を伴うかつてない雷雨がフシニャックを通過したようで、育っていたブドウが全滅してしまい今年は収穫が出来なかったのです。」
「それはお気の毒に…。心が痛みます。私達も5月に“リュヌ・ルッス”によって霜が降りてしまいました。」
「リュヌ・ルッスとは何ですか?」
「赤い月を意味します。月食の際に月が赤く見てる現象で、ブドウの新芽を赤茶色に枯らしてしまう晩霜のリスクがあるのです。大切なのが雲の有無で、雲は地表の熱が逃げないよう反射して戻す役割があります。雲が無く赤い月がはっきりと見える場合、夜間は地表の熱が逃げるため気温が急激に下がり、日中との大きな温度差により霜が降りてしまうのです…」
コニャックを造るためには収穫時期まで長い時間をかけてブドウを手塩にかけ育てる中で、特にオーガニック農法では悪天候や害虫等の被害を受けやすいデメリットを伴いながら、生産する過程においては造り手の愛でしかない。
フシニャックを通過した雷雨はスゴンザックをかわし通過したようで、無事に収穫を終えたばかりのマダムの穏やかな表情から他家であるが心の痛みを分かるだけに笑顔がなくなっていた。
話をしているとガス式の2つの蒸留器と対面した。
マリアさんに「出来たら蒸留後の原酒をテイスティングさせてくれませんか?」と聞くと「用意してありますのでテイスティングしてください」と笑顔に戻ってくれた。
とても優しい心を持ったマダムであった。
コニャックは2回蒸留を行うが、第1蒸留液の“ブルイー”、第2蒸留液の“ボンヌ・ショーフ”を先ずはテイスティングさせて貰った。
どの蒸留所でも私の1番ワクワクする瞬間でもある。
ここから年月をかけてコニャックになっていく過程に想いを馳せ目を瞑る。いい時間だ。
奥には直火式の2つの蒸留器もあり、直火式では絶えず燃料の炭を燃やし続けなければならず、つきっきりの作業から部屋の隅には仮眠スペースを作ってあった。
蒸留後に原酒が長い眠りに就く貯蔵庫へ案内して貰った。
暗くしっとりとした貯蔵庫の地面を見ると湿っていたので聞いてみると、常に湿度を70パーセントに保つために水をまいていると言う。
ヒュミドールで熟成させるシガーのよう、環境が味わいを左右するだけに、せっかく手塩にかけて育てたブドウを長い年月寝かす貯蔵庫はとても重要な部分であり、どこの蒸留所を訪れても神秘を感じる瞬間である。
ブルイユ・ド・スゴンザックの貯蔵庫にもいい貯蔵庫の証となる蜘蛛の巣が至る所に張っていた。
環境を保つ為に取り除くことはない。
貯蔵庫を後にしレセプションに戻ると、手の空いたご主人のパトリック・ブリエさんが駆けつけてくれて、テイスティングしようと全商品をグラスに注いでくれた。
工程を見た後のテイスティングは脳にまで響く美味しさが一味加わり、ブリエさんご夫婦と5人の従業員含め7人で造る少量生産のコニャックを購入させて貰った。
パトリックさんが「うちが造る白ワインをお土産にどうぞ」と言い1本私に差し出してくれた。
「また来年是非いらしてください」とレンタカーまで見送ってくれるご夫婦の優しさが溢れた造り手だった。
ブルイユ・ド・スゴンザックを後にしてスゴンザックの中心へ戻り、D736を下り10分ほどでジュイヤック・ル・コック村に入った。
この村と云えば訪れたことがあるコニャックの名家「ジャン・フィユー」が有名であるが、今年はより小規模な造り手を新規開拓したくD736から山道を上がるように左折した。
今日の最後のアポイントは「ピエール・セルプレ」で、15時に行きたいと旅前にメールを送っていたが返信がなかった。だがどうしても訪ねてみたい気持ちから行くことを決めていた。
地図を見ながら坂を上り、着いた所はまさかの廃墟であった。
どういうことだろうか…?周りを見渡すと畑があるから造り手はあるはずであるのであるが…。
車に戻り来た道を戻ると畑を作業している男性を見つけ「ピエール・セルプレへ行きたいのですが何処でしょうか?」と聞くと「この道を上がって1つ目の細い道を左に曲がって行くと左手にある」と教えて貰い、向かうと造り手の標識も無い民家であった。
車を停めてインターフォンを押すと年配の女性が出て来てくれた。
自己紹介すると間違いでなくピエール・セルプレ家であった。
今朝メゾン・ド・ラ・グランド・シャンパーニュでピエール・セルプレの1番の上級品を2本購入したボトルを見せると「中へどうぞ」と迎え入れてくれた。
アポイントが取れていないので訪れて不在でボトルを購入出来ないケースを考え、先にメゾン・ド・ラ・グランド・シャンパーニュでボトルを購入していたが、自己紹介以上に説得力のあるボトルを下げて訪れたのでとても好意的に迎え入れてくれた。
中にはご主人も居て、アポイントのメールを送っていたのを話すと、何とパソコンを1ヵ月以上開いてなくメールを見てなかったようであった(笑)
70歳前後のご夫婦だろうか。
お土産で持って来ていた招き猫の手ぬぐいを渡すと奥様は目を細めて喜んでくれていた。
新しい造り手を訪ねる際に「より多き福が招かれますように」とお渡しすると必ず喜んで頂けるので欠かせないお土産である。
奥様から「こちらに座ってコーヒーでもどうぞ」と入れて頂き、ここまでの話をしていると1人の男性が訪ねて来た。
その男性はメゾン・ド・ラ・グランド・シャンパーニュの店長であるパトリス・グラニエさんであった。
コニャックへ通うここ例年、メゾン・ド・ラ・グランド・シャンパーニュにも毎回行ってはいたが、パトリスさんとは初対面の中、実は事前にメールを貰っていたのであった。
ここ近年ソーシャル・ネットワーク・サービスが拡まり、私もフェイスブックを使用しているが、パトリスさんとは繋がっていてメッセージのやり取りをしていたのであった。
今年の5月にコニャックを愛するドラスのお客様が是非生産者を訪ねてみたいとコニャックへ向かい、運転免許を持っていない中でコニャック町から45キロ離れたアングレーム町で自転車をレンタルで借り、畑へ向かう急斜面を上り下りし大苦労しながら生産者廻りをするという快挙を成し遂げていた。
運転免許がないから蒸留所に行けないという概念を崩し、それは一般のお客様が我々バーテンダーにも大きなことを示してくれた行為であり、私もその際には出来るだけ力になりたいと情報を共有した。
そしてメゾン・ド・ラ・グランド・シャンパーニュにてグラニエさんにとても良くして頂いたようで、帰国後もグラニエさんとメールのやり取りの中で私が10月にまた訪れる旨を予告してくれてもいた。
そんな経由がありグラニエさんからフェイスブックを通してメッセージが来たので、私のコニャック廻りでのスケジュールを返信に添えていたのであったが、「店は定休日であるが10月17日の15時にピエール・セルプレに私も行く」と、お店が定休日の中わざわざ来てくれたのであった。
コニャックを勉強したい気持ちには力になってあげたいという温かさのあるパトリスさんも加わり、蒸留所を見学させて貰う事になった。
こちらも先週で無事に収穫作業を終えたようでホッとしていた。
貯蔵庫の扉にはキノコがこびり付いているが、とても環境がいい証明である。
中へ入ると先ずは気になる地面を見た。
しっとりとしている地面を聞くと、砂を掘ると下部は濡れているのを見せて貰った。
水を撒くのでもなく、天然のままで水気がある地面を持つ最高な環境の貯蔵庫をセルプレ家は持っていた。
セルプレさんご夫婦に2人の従業員を含めた4人だけで造るコニャックは目の見切れる範囲でした造らず、貯蔵庫のには少量の樽しかない。もちろん輸出は一切考えてないと言う。
レンタル・デッス家と同様にコニャック町含めパリ等の国内流通も無い少量生産コニャックの真髄を見させて貰える事になった。
その後セルプレさんのご自宅に戻り全商品の試飲をさせて貰った。
1つ1つじっくりと説明しながら購入したボトルの内訳を聞くと1970年の樽が96パーセント、1945年が2パーセント、もう2パーセントはセルプレ家最古の古酒となる1914年が入っていると言う。
それがこんな低価格での販売でいいのだろうか…と思わず聞いてしまうと、ご主人が裏から持って来てくれた1914年の原酒をテイスティングさせてくれた。
時を忘れてしまう歴史ある味わいの余韻は長かった。
気づけば17時半近くなり、急な訪問であったので席を立つとご主人からわざわざこの奥地まで来てくれる人はいないからとお土産まで頂いてしまった。
パトリスさんから「明日はショップに居るから是非寄って欲しい」と明日の再会を約束してセルプレ家を後にし、コニャック町のホテルをキャンセルして是非うちでと気持ちを頂いたピナール家に戻った。
今日はジャン-バティストさん宅で食事をすると聞いていたので向かうと子供達が大きな庭でサッカーをしていたので私も混ざった。
高校ではサッカー部で青春時代を過ごしていた私も子供達に混ざり歳を関係なく楽しんでいた。
3軒のコニャック農家で沢山のテイスティングをした汗が滴って止まらなかった。
食事の時間だと声が掛かり家に戻るが、まだ遊び足りない子供達とヨーロッパを感じるテーブル・フットボールを一緒に楽しんだ。
このテーブル・フットボールの発祥はフランスかドイツと云われているが、純粋な子供達と居ると土地を何よりも感じることが多く掛け替えのない時間である。
食事が始まると席はまたルイスさんの隣となった。
今日の夕食はルイスさんの生まれ故郷スイスの伝統料理であるチーズフォンデュが用意されていた。
コニャック・シュウェップスで乾杯となった。
ハンベル家の名が入った小さな陶器の器が手渡されたが、これにキルシュを注ぎ、刺したパンをそれに付けてチーズを絡めて食べると言う。
チーズフォンデュは最後は濃厚なキルシュ味となったのは言うまでも無い。
2軒目に訪れたブルイユ・ド・スゴンザックでお土産に頂いた白ワインをジャン-バティストさんに今日のお礼に渡すと、「今飲もう」とコルクを開けてくれ皆んなで飲んだが、オーガニックの美味しいワインだと喜んでくれた。
するとジャン-バティストさんは席を立ち、ピナール家が造る白ワインを持って来て抜栓し私に注いだ。
何度も飲んできたピナール家の白ワインは本当に美味しい。
ジャン-バティストさんが「どっちが好き?」と言う。
ピナール家の白ワインを指差す私をケラケラと笑うジャン-バティストさんとの信頼関係が年々築かれていく時間であった。
今回ジャン-バティストさんからの気持ちでコニャックのリリースが決まったが、テイスティングしたその樽のインパクトをふと思い出してしまった。
コニャックでは中々出てこない茶葉やパイプの葉の熟成された香り…
味わいはフローラルで軽やかなコニャックが造られるファン・ボア地区の概念を壊すパワフルさ、早熟なファンボア地区の熟成規定を超える28年の熟成であってもストレスのない樽の風味に驚いた…
厚みのあるブドウ感がしっかりと出てきて、最後はギィ・ピナール家の長期熟成品特有のグァバ、スターフルーツ等南国フルーツの余韻が支配する…
ワインが止まらなかった。身体に染み込んでいく。
幾らでも食べれるジャガイモも別腹のように止まらない。
チーズフォンデュが終わるとアンディーブのサラダを皆んなで回し合い、
デザートは手作りのリンゴのタルトを分け与えられるとシャンパンが開けられた。
旧き良き文化が残っているピナール家の伝統がここにもある。
食後にハンベル家のキルシュやポワール・ウイリアム(洋梨のホワイトブランデー)、ブドウはマスカット種のホワイトブランデーを次々に頂き、満腹に消化を促進させる蒸留酒の役目を改めて感じた。
ジャン-バティストさんはまた席を立ち、戻ると変わった彫刻の急須のようなものを持ってきた。
ピレネーで見つけてきたと言うこの彫刻の急須には6つの飲み口が付いていて、急須の中には熱いコーヒーにたっぷりのコニャックやオレンジリキュールを加えてあり、飲み口に口を付けて飲んでは皆んなで回し飲みをした。
もう一口もう一口と回し飲みする度に…
ピナール家との友情が深まっていく。
コニャックはグランド・シャンパーニュ地区が一等地なだけでない、造り手の愛情そのものが表れるのを証明したコニャックをリリースする日が今から楽しみで気持ちを抑えられい夜となった。
また来年も第2の故郷フシニャックに戻ってこよう…