2017年 01月 26日
2016年フランス・イタリア旅後記録 vol.8 |
10月18日(火)
ローランさんご家族のご厚意によりもう1泊フシニャックで滞在となった温もりある夜が明けた。
コニャック最終日となる今日はアポイントを取ってある3軒の造り手を廻り、夜はコニャック滞在最終日に恒例となっている古城ホテル「シャトー・ド・リューズ」を予約してあった。
今年も大変お世話になったローランさんご家族とお別れとなったが、ローランさんから「仕事を終えたらホテルに行くから1杯飲もう」と優しい言葉をかけて貰い、昨日仕入れたコニャックと荷造りしたスーツケースをレンタカーに詰め込み、9時前に重い荷物で沈んだレンタカーを走らせた。
濃霧で前が見えない朝であった。
1軒目は昨年初めて訪れ、また来年も行こうとその時決めていた「レロー」へ、フシニャックからシャラント川を越えて下るよう前の見えない道をゆっくりと進んだ。
レローはグランド・シャンパーニュ地区と隣接するプティット・シャンパーニュ地区北東部のアンジャック・シャラント村に位置するが予定通り30分で到着した。
アポイントのメールのやり取りをしていたフランソワ・ルーベルさんが出迎えてくれ、コーヒーをご馳走になっているとギィ・レローさんがいらしてくれて昨年からの再会となった。
大きなお腹でチャーミングなレローさんは親しみ深く、厚い手での握手は柔らかかった。
昨年レロー家の蒸留過程を細かく見せて頂いていたので、今年は買い付けで伺いたいと事前に連絡してあったが、レローさん自らの運転で最古の樽が眠る貯蔵庫の“パラディ”にルーベルさんと3人で向かった。
運転席に座るもお腹がハンドルに当たりそうなレローさんを見て心が和んでしまった。
暗いパラディに入ると圧巻の古酒が長い眠りに就いているが、
熟成を終えて樽からガラスの丸い器のボンボンヌ移された原酒にレローさんは管を落とした。
昨年レロー家にてそのボンボンヌに管を落とし、好きなだけ飲んでいいと初体験となるテイスティングをさせて貰ったが、今年はレローさん本人から管を手渡されてのテイスティングとなった。
次から次へと古酒の蓋を開けてテイスティングさせてくれるレローさんから、
「良かったら売りますよ」
と昨年には無かった言葉をかけて貰えた。
海外輸出も行い日本にも正規代理店が付いていて日本へもスタンダード商品の輸入はあるが、中国の何社からは最古の古酒を全部買いたいとオファーが舞い込んでいるようで、動揺を隠せない純粋なレローさんの言葉から情勢と背景を感じるレロー家の歴史的遺産のテイスティングとなった。
パラディを出てレロー家が飼っているチョウザメにも再会となった。
昨年見た際には「キャビアにはしない」と言っていたが本当だった(笑)
庭にある木に向かったレローさんが枝からイチジクをもぎ取り、
頬張った。
何も言わず私に差し出したイチジクを私も頬張ると、
まだ消えない歴史的コニャックの余韻に増幅された余韻が続く…
事務所に帰り奥様にもご挨拶させて貰うと、奥様は昨年お会いした時と同じく丁寧なラベル貼りをしていて、相変わらず真面目な姿に頭が下がってしまった。
その後ミーティングルームで数々の商品のテイスティングをさせて貰うことになったが、厳選した仕入れに集中したくルーベルさんに「少し時間をください。決めたらお声掛けします」と1人となった部屋で集中した。
あっという間に11時となり、レローの本質を見出すいい買い付けが出来たボトルをレンタカー詰め込み、最後にレローさんに挨拶をしてレロー家を後にした。
コニャック町中央へと車を走らせると私の気持ちのように濃霧は晴れて晴天の空が気持ち良かった。
コニャック町の無料駐車場に車を停めて町のシガーショップへ向かった。
ショップに入ると昨年も会ったお店のマダムから「新聞に出ていたわよね!」と昨年コニャックマラソン出場で取り上げて貰った地元新聞の「シャラント・リーブル」を覚えてくれていた。
マダムと談笑しながらフランス向けのシガーや店で使いたいとインスピレーションの湧いた灰皿を購入した。
あっという間に12時半となり、昼食で以前に行った街中のレストランに入ることにした。
ベルギービールで喉を潤した。
大好物のステーキ・アンド・フリットを噛み締め腹ごしらえをし、
13時半にアポイントを取ってある「ア・ウ・ドール」へとレンタカーを走らせた。
ア・ウ・ドールはジャルナック町にあり、コニャック町中央から車で20分の距離となるが、シャラント川を越えたジャルナック町は昨年走った「コニャックマラソン」での緊張感あるスタート地点であり、また沿道の声援が気分良く足取りを早めた中間地点、そして1歩1歩が重く進まなく本当に辛かったゴール地点でもあった。
毎年レンタカーで走るコニャックの土地を42.195キロ自らの足裏で一歩一歩感じてみたいと思い立ち、エントリーしたコニャックマラソンで感じた全てが蘇ってきていた。
車では感じられないコニャックの大地を踏みしめたジャルナックの中心を走るD736からクロワ・サン-ジル通りへ、レンタカーであっという間に通り過ぎてしまった。
走って良かったな…という感情が溢れてきた。
これこそ私が大切にしたいD.I.Yの旅なのかもしれない。
ユーロップ通りを右に曲がるとア・ウ・ドールに予定通り13時半に到着した。
創業者アメデ-エドゥアール・ドール氏のイニシャルが社名となるア・ウ・ドール(A.E.DOR)は1858年にジャルナックで創業し、自家畑を持たず契約農家から蒸留原酒を買い熟成させるネゴシアンとしてスタートした。
それから現在に至るまでにコニャック地方のグランド・シャンパーニュ地区、プティット・シャンパーニュ地区、ファン・ボア地区に自家畑を持ち自家蒸留も始め、足りない分の原酒は各地区の契約農家から購入しつつ本拠のジャルナックの貯蔵庫で全てを熟成させている。
そして、創業時に購入した最も古い1805年の樽はまだパラディーで眠っているよう、コニャックで1800年代の原酒を1番持っているとも言われている造り手であった。
レセプションに入ると品が溢れた雰囲気の女性秘書のクリスティーヌ・ヴァンソノーさんが迎えてくれ、アポイントの旨を伝えると商品管理責任者のベアトリス・クーシさんを呼んで案内を任せてくれた。
ア・ウ・ドールのコニャック以外にもラムやウオッカ等の扱う商品含め、
この場所は最終段階となるボトリングとラベル貼り、箱詰め、そして出荷となる工場となっている。
「1時間位しか時間が無く、出来たらア・ウ・ドールの秘蔵の古酒が眠るパラディを見学したいのですが宜しいでしょうか?」とクーシさんに申すと「ここから少し離れるので直ぐに行きましょう」と車に案内してくれ、クーシさんの運転で貯蔵庫へ向かった。
門を開け、鍵を開け、誰もいない聖地へと踏み込ませて頂いた。
長い年月ここで静かに保管されている大型のガラス瓶に籠巻きされたボンボンヌの量と対面し、息を吸うのを忘れてしまうほど圧倒された。
パラディで眠る最古の古酒1805年と向き合った。
長く樽で寝かせ過ぎアルコール度数は30度まで下がっている。
アルコール度数が40度以下になるとコニャックと名乗ることは出来ないフランスの規定の中で、ア・ウ・ドールのここにある40度を満たない原酒はその品質を評価され、特別にコニャックと名乗って販売が許されている歴史的遺産の原酒を実際に目の当たりにして興奮してしまった。
パラディを出たテイスティングスペースでクーシさんからア・ウ・ドールの特別なコニャックを立て続けにテイスティングさせて頂いた。
何て美味しいコニャックなんだろうか…
クーシさんはデキャンタに手をかけた。
このデキャンタは「サイン・オブ・タイム」というフォル・ブランシュ種100%、熟成は80年以上となる商品で、テイスティングルームに入ってからずっとオーラを発していた歴史的コニャックであった。
クーシさんは「もう時間が経ち過ぎて味はもう下っていると思います」と言いながらグラスに注いでくれた。
そんなクーシさんの言葉を打ち消すような、圧倒的な存在感のある味わいが押し寄せ、そしていつまでも消えなかった。
感動的な余韻が残る中、今日最後のアポイントとなる「フランソワ・ヴォワイエ」へとレンタカーを走らせた。
ジャルナック町からシャラント川を越え、何度もレンタカーを走らせたD736を下りスゴンザック町中心から更にジュイ・ヤック・ル・コック村を越えるとヴェリエール村へ20分で着いた。
フランソワ・ヴォワイエの標識が出てきて右折すると15時半のアポイント前に到着となった。
実はフランソワ・ヴォワイエへの訪問が決まったのは旅の数日前であった。
旅前に口にしたフランソワ・ヴォワイエのエキゾチックな熟した貴熟香(ランシオ香)を放ちまくる味わいに感動し、何故これだけのランシオ爆弾が生まれるのか見てみたいと思い立ったのであるが、コニャック廻りの最後は何かある場合を考えて空けておいたので、そこに急遽アポイントを入れ込んでいた。
インターフォンを押すと迎えてくれた販売マネージャーのモルガン・ムーテさんは、今旅で訪れた造り手で対応してくれた中で1番若い30代の男性で、初対面での空気感が1番楽に感じていた。
今日訪ねたレロー、ア・ウ・ドールも含め、こちらも海外輸出も行う造り手だけに来客にも慣れているのだろう。
ムーテさんにレセプションに案内されると、「まだここには日本のインポーターも来ていないですよ」と歓迎してくれて、ここまでの旅の話に興味を持ってくれたムーテさんから生産過程を説明しましょうとレセプションを出た。
ここヴェリエールと隣村のアンビルヴィーユに持つ畑から今年の収穫を無事に終えたユニブラン種100%のブドウから造られる原酒は、2回蒸留後コニャックの規定で70度から72度のアルコール度数の規定になると勿論思っていたが、この地区では68度台が許されているのを初めて知った。
何度か記してきたが、コニャックは2回蒸留後の原酒を新樽に入れて熟成を進めていく。
また、土地の畑で勝負する一等地の造り手では新樽に入れる期間は少なく、その後古樽に移して樽の強い風味を強く付けずブドウ本来の味わいを前面に出していくのであるが、度数の落とし方も各家様々の過程を経て落としていく。
フランソワ・ヴォワイエ含む砂糖やカラメルを使用せず、土地のブドウで勝負する一等地での“素っぴん美人”コニャックでは、度数を落とす際にボトリング直前に加水をするとコニャックの酒質に持つ脂肪酸と水の相性の悪さから味わいが壊れエグ味が出てしまうので、加水をする場合は3年位樽の中で一体化させることによりエグ味を消すやり方もある。
フランソワ・ヴォワイエが行う度数調整を細かく説明して頂いた。
2回蒸留後、68.6〜69.4度のアルコール度数の原酒を大樽で6ヶ月落ち着かせ、
その後蒸留水を少し入れてアルコール度数を62.6度まで落として新樽に入れる。
長くても3年まで新樽で寝かした原酒は古樽に移す前に新樽と古樽の中間のミディアムバレルに移す際にまた少量の蒸留水で加水し、その後ミディアムバレルで10〜12年の熟成を経て、
古樽に移す際にまた少量の蒸留水を加水し、その後じっくりと古樽で寝かし度数を落としていく。
原酒にストレスの無い少しづつの加水と時間をかけてコニャックと水を一体化させることにより、水によるエグ味が消える意味を改めて感じた。
ムーテさんは幾つもの樽から原酒をくみ上げてはテイスティングさせてくれ、熟成の経過を感じさせてくれた。
もう1つフランソワ・ヴォワイエが持つ貴熟香の謎を聞いてみたくムーテさんに聞くと蒸留所に住む犬のイッジがくっ付いて離れない。
可愛い子犬と戯れていると、そこに蒸留所内で働く男性が現れ挨拶を交わした。
ムーテさんと同年代位だろうか。
若いピエール・ヴォードンさんはフランソワ・ヴォワイエのマスターブレンダーとのことで、一緒になって造りを説明してくれることになった。
先ほどムーテさんに聞いた貴熟香の謎に対し、ヴォードンさんは「それはとてもこだわっているところなんです。ご説明しましょう!」と軽い動きで樽へと向かい幾つかの原酒をくみ出した。
熟成の長い原酒と若い原酒を両方テイスティングさせてくれた後にヴォードンさんはメスシリンダーに細かいミリ数をしっかりと計り混ぜ合わせ、
「是非テイスティングしてみてください。」と差し出してくれた。
味わいには驚きの貴熟香が表れていた…
手品を披露された様なヴォードンさんのテクニックと緻密な頭脳に“ランシオ爆弾”の意味を理解する事が出来た。
そして、フランソワ・ヴォワイエが誇る歴史的古酒までテイスティングしながらの説明をしてくれた。
仕事の手を止めて実演しながらの説明をしてくれたヴォードンさんにも「私達6人でコニャックを造っていますが、日本人の方にここでお会いしたのは初めてと思います。」と勢いある握手に、フランソワ・ヴォワイエの勢いまでも手のひらに感じていた。
レセプションに戻りフランソワ・ヴォワイエが持つ最高商品3つのテイスティングから仕入れをさせて頂いた。
コニャック町中央のコニャックショップで見た金額から遥かに安い価格であった。
パリでの販売価格を見るのも楽しみとなった。
造り手販売価格での仕入れにこだわった今旅であったが、空けておいたコニャック廻り最後の訪問時間でここまで来れて本当に良かったと思えた。
ムーテさんに来年も必ずと再会を約束し、仕入れたコニャックを持ちレセプションを出てレンタカーへ向かおうとすると、先に表に出たムーテさんから「うちの大きな番犬がいて噛まれてボトルを落として割ってしまうかもしれないのでちょっと待ってください」と言われ外を見た。
子犬のイッジかと思って見るとびっくりする位大きな犬がこちらを見て威嚇をしているではないか…
どっしりと座り全く動かない番犬をムーテさんが連れ出そうとするのを横目にサッとレンタカーに乗り込んだ。
ムーテさんが駆けつけて来てくれ、また握手を交わしレンタカーを走らせた。
今日は3軒の造り手で歴史的古酒を相当飲ませて貰い、テイスティング量も今までで一番だと身体が感じていた。
もう身体にコニャックが入ってこないかもしれない…
昨日ピエール・セルプレにわざわざ来てくれたパトリスさんが「明日是非寄って欲しい」と約束した言葉を考えていた。
歴史的遺産をテイスティングしたオンパレードな1日とこんな自らの規定量を超えた状態は初めてで考えたが、やっぱりこの縁を大切にしようとスゴンザックへとレンタカーを走らせた。
スゴンザックに着き車を停めた。持参してきた蜂蜜の残りを全て口に含ませ、胃と舌を守るようゆっくりと飲み込んでから車を出た。
メゾン・ド・ラ・グランド・シャンパーニュの扉を押すとパトリスさんの「待ってたよ」という声を先ず聞いた。来て良かった…
パトリスさんは「これは飲んで欲しい」と幾つかのテイスティングとなったが身体にもうコニャックが入ってこない状態で正直に感じ取れないでした。
「最後にもう1つ」と出してくれたコニャックを飲んだ。
何て美味しいんだろう。身体にストレスを感じないブドウ本来の味わいを感じる液体が身体に入り込んできた。
「これは何というコニャックでしょうか?」
「これはスゴンザックの“ソーニエ”と言う造り手で、ここ生産者組合に入っているコニャックです。美味しいでしょう」
「とても美味しいです。組合のボトルなら造り手と同じ販売価格ですね?」
提示されまたびっくりした価格に即購入を決めたが、パトリスさんに来年このソーニエ家へ訪れる道しるべまで頂いた。来年行ってみよう。
パトリスさんと短い時間であったが「また連絡します」と来年の再会を約束しレンタカーに戻った。
17時半を回りシャトー・ド・リューズへと向かったが喉の渇きからコニャック町中央のスーパーに寄り道し、大瓶のガス入り水を購入して一気に飲み干した。
直ぐにレンタカーを走らせシャトー・ド・リューズに到着し、フロントに行きチェックインをしていると、仕事中のオーレリーさんがフロントに来てくれて昨年以来の再会となった。
「19時にロロ(ローランさんの愛称)がフロントに来るから飲みに行きましょう」と後ほどの予定を聞き、レンタカーから数回に分けて部屋に全ての荷物を運んだ。
オーレリーさんの心遣いでスタンダードの宿泊料金ながら素晴らしい部屋を毎年取ってくれている。
シャラント渓谷を望むここに来ると、コニャック滞在最終日にやり切った感が毎年溢れ出てくる。
折角の古城ホテルの部屋は購入したコニャックや荷物で足の踏み場のない状態となってしまうが、明日朝一でチェックアウトしてレンタカーをアングレーム町で乗り捨てし、パリへ列車で向かう為にコニャックの梱包と荷造りを19時までに終わらせたかった。
チェックインの際にオーレリーさんから「これからハロウィンのイベントをホテルで毎年開催する今年の会議に出席するんだけど見学する?」と声をかけて貰ったが、「行きたいけど明日の朝チェックアウトが早いから昨日と今日購入したコニャックを急いで梱包しないとならないんだ」と、あと19時まで1時間無いので急いで部屋へ向かっていた。
“鬼の梱包”を始めるが結局時間が足りず、シャワーを浴びて着替えていると19時に部屋の電話が鳴った。
ローランさんからで、「数分後に急いで向かいます」と電話を切ると、急いで身支度をしフロントに降りた。
「オリリン(オーレリーさんの愛称)はまだ会議が終わらず遅れて来るから先に行こう」と言うローランさんの車に乗りコニャック町中央へと向かった。
車を停めて向かった先はワインバーで「昨年は確か無かったので新しいお店では?」とローランさんに聞くと、まだオープンして数ヶ月と言う。
だいぶコニャックの町の変化も分かるようになってきた。
ローランさんが選んでくれた赤ワインで乾杯となった。
ロワールのカベルネ・フラン種から造られる「シノン」の優しさとオーガニックワインの丸みがコニャックを飲み尽くした身体に心地良かった。
ローランさんに今日コニャックの造り手を廻った話を聞いて貰っているとオーレリーさんが到着した。
3人での乾杯からワインが空くとローランさんが会計を済ませてくれ、今年もこれで本当にお別れとなり、握手した手をお互い中々離せなかった。
車の窓を開けてサヨナラを言うローランさんを見送り、オーレリーさんの車でシャトー・ド・リューズへと戻った。
あっ!
ローランさんの車に手さげバッグを忘れてしまっていた…
オーレリーさんが直ぐに電話をしてくれるも繋がらない。
シャトー・ド・リューズに着く頃にローランさんから折り返し電話があると、車に手さげバッグはあるからこれから届けてくれると言ってくれた。
ホテルの外で待っているとローランさんの車が来た。
手さげバッグを差し出すローランさんはニコッと笑っていた。
「ごめんなさい。ただもう一度会いたかったから」
と私が言うと歯を出して笑って帰るローランさんの車が見えなくなるまで見送った。
そんなやり取りを見ていたオーレリーさんは「これは涙ものね」と言いながらホテルに入りバーへ向かった。
何度もカウンター内に入らせて貰い、カクテルを創ってきたバーのカウンターに座るとオーレリーさんが「直ぐに戻るから何か飲んで待ってて」と言うので、ギィ・ピナールが造るビールのラ・グールを頂くことにした。
ビールを1杯飲んでホッとしたかったので一気に飲み干してしまった。
直ぐにオーレリーさんは戻って来ると若き男性を連れてきた。
「ずっと居なかったバーマンがようやく入ったの。紹介するわ」とカウンターに入ったその青年を紹介してくれた。
バーテンダー兼ソムリエの23歳の若きトーマ・ルーさんが食前酒にとロングカクテルを創ってくれた。
昨年はオーレリーさんの心遣いからシャトー・ド・リューズでサプライズの盛大なパーティーをして貰い、大勢でワイワイと楽しい夜となった。そして最後に私がバーカウンターに入り、またカクテルを創った。
今年はオーレリーさんに夜にホテルのレストラン営業がある日であれば1名での予約をお願いしていた。
去年一昨年と日が悪くディナー営業がない日に宿泊となることばかりであったが、今回は初めて通常営業でのディナーがあることを確認していた。
コニャック最後の夜にそれを1人で感じてみたいと思ってもいた。
料理教室もするほど料理に長けたオーレリーさんとカウンターでカクテルを飲みながら、「今のシェフの味はとてもいいわ」とディナーメニューからおすすめして貰い、一緒になってメニューを決めた。
オーレリーさんから昨年のマラソンの話で盛り上がった。「シャラント・スターよ」と言ってくれた。
日本へ行こうと計画している話、そしてドラスへ行こうと思ってるという話を聞いているとカクテルを飲み終わり、オーレリーさんの案内でレストランへと向かうと落ち着いたテーブルに案内してくれた。
「これで私は帰るのでゆっくりと楽しんで。また来年ね」とオーレリーさんとは私に言うとルーさんを呼んで「後は任せたからよろしくね」と帰る後姿は、シャトー・ド・リューズで企画含め幹部として働くキャリアウーマンに溢れていた。
料理は頼んであったのでルーさんに先ずグラスで白ワインを頂くことにし、ロワールの「ル・ロシェ・デ・ヴィオレット」で幕が開けた。
アミューズのレンズ豆にロワールのシャルドネ種が心地良い。
今日選んだ2皿には赤ワインを選びたいと、ここでの出会いからせっかくなのでルーさんに赤ワインをボトルでお願いすることにした。
南仏ラングドック地方コトー・ド・リューションの「ドメーヌ・ピクマル」を選んでくれた。
1皿目の前菜は鹿肉で、シラー種、グルナッシュ種、カリニャン種がブレンドされたワインと合う。
そしてメインのピジョン(鳩)が運ばれた。
極限状態だった身体にひと噛みひと噛みが旨味を増し、ワインがまたそれを増幅させる。
この2日間全力で走り切った後のまだアドレナリンの収まらない自身を落ち着かせようと、1人でゆっくりとピジョンを噛みワインを含む。
最後のひと噛みでボトルが空いた。いい時間だった。
デセールはスフレをお願いしていたが、ルーさんがスフレを持って来るとオレンジリキュールのグランマルニエをかけてスフレに火を点けた。
揺れる燃える炎を見つめていた。
見ていると気持ちを落ち着かせてくれるよう、そしてコニャック愛をより大きくさせてくれるようだった。
デザートワインをお願いすると、ルーさんはボルドー地方のソーテルヌ地区とジロンド川を対岸するルピヤック地方の「シャトー・ド・リコー」を注いでくれた。
2000年ヴィンテージから16年経過した丸みがスフレと疲れを癒してくれる時間となった。
食後にもう今日はコニャックは飲めない…
完全燃焼したのだろう。エレベーターを上がり部屋に戻るとやりかけの梱包と荷造りは早朝に後回しにしベッドに倒れこんだ。
ベッドに身体が深く深く沈んでいく。
4日間コニャックで最高の日々を終えることが出来た。
手ごたえと安堵感に包まれ気持ち良かった…
ローランさんご家族のご厚意によりもう1泊フシニャックで滞在となった温もりある夜が明けた。
コニャック最終日となる今日はアポイントを取ってある3軒の造り手を廻り、夜はコニャック滞在最終日に恒例となっている古城ホテル「シャトー・ド・リューズ」を予約してあった。
今年も大変お世話になったローランさんご家族とお別れとなったが、ローランさんから「仕事を終えたらホテルに行くから1杯飲もう」と優しい言葉をかけて貰い、昨日仕入れたコニャックと荷造りしたスーツケースをレンタカーに詰め込み、9時前に重い荷物で沈んだレンタカーを走らせた。
濃霧で前が見えない朝であった。
1軒目は昨年初めて訪れ、また来年も行こうとその時決めていた「レロー」へ、フシニャックからシャラント川を越えて下るよう前の見えない道をゆっくりと進んだ。
レローはグランド・シャンパーニュ地区と隣接するプティット・シャンパーニュ地区北東部のアンジャック・シャラント村に位置するが予定通り30分で到着した。
アポイントのメールのやり取りをしていたフランソワ・ルーベルさんが出迎えてくれ、コーヒーをご馳走になっているとギィ・レローさんがいらしてくれて昨年からの再会となった。
大きなお腹でチャーミングなレローさんは親しみ深く、厚い手での握手は柔らかかった。
昨年レロー家の蒸留過程を細かく見せて頂いていたので、今年は買い付けで伺いたいと事前に連絡してあったが、レローさん自らの運転で最古の樽が眠る貯蔵庫の“パラディ”にルーベルさんと3人で向かった。
運転席に座るもお腹がハンドルに当たりそうなレローさんを見て心が和んでしまった。
暗いパラディに入ると圧巻の古酒が長い眠りに就いているが、
熟成を終えて樽からガラスの丸い器のボンボンヌ移された原酒にレローさんは管を落とした。
昨年レロー家にてそのボンボンヌに管を落とし、好きなだけ飲んでいいと初体験となるテイスティングをさせて貰ったが、今年はレローさん本人から管を手渡されてのテイスティングとなった。
次から次へと古酒の蓋を開けてテイスティングさせてくれるレローさんから、
「良かったら売りますよ」
と昨年には無かった言葉をかけて貰えた。
海外輸出も行い日本にも正規代理店が付いていて日本へもスタンダード商品の輸入はあるが、中国の何社からは最古の古酒を全部買いたいとオファーが舞い込んでいるようで、動揺を隠せない純粋なレローさんの言葉から情勢と背景を感じるレロー家の歴史的遺産のテイスティングとなった。
パラディを出てレロー家が飼っているチョウザメにも再会となった。
昨年見た際には「キャビアにはしない」と言っていたが本当だった(笑)
庭にある木に向かったレローさんが枝からイチジクをもぎ取り、
頬張った。
何も言わず私に差し出したイチジクを私も頬張ると、
まだ消えない歴史的コニャックの余韻に増幅された余韻が続く…
事務所に帰り奥様にもご挨拶させて貰うと、奥様は昨年お会いした時と同じく丁寧なラベル貼りをしていて、相変わらず真面目な姿に頭が下がってしまった。
その後ミーティングルームで数々の商品のテイスティングをさせて貰うことになったが、厳選した仕入れに集中したくルーベルさんに「少し時間をください。決めたらお声掛けします」と1人となった部屋で集中した。
あっという間に11時となり、レローの本質を見出すいい買い付けが出来たボトルをレンタカー詰め込み、最後にレローさんに挨拶をしてレロー家を後にした。
コニャック町中央へと車を走らせると私の気持ちのように濃霧は晴れて晴天の空が気持ち良かった。
コニャック町の無料駐車場に車を停めて町のシガーショップへ向かった。
ショップに入ると昨年も会ったお店のマダムから「新聞に出ていたわよね!」と昨年コニャックマラソン出場で取り上げて貰った地元新聞の「シャラント・リーブル」を覚えてくれていた。
マダムと談笑しながらフランス向けのシガーや店で使いたいとインスピレーションの湧いた灰皿を購入した。
あっという間に12時半となり、昼食で以前に行った街中のレストランに入ることにした。
ベルギービールで喉を潤した。
大好物のステーキ・アンド・フリットを噛み締め腹ごしらえをし、
13時半にアポイントを取ってある「ア・ウ・ドール」へとレンタカーを走らせた。
ア・ウ・ドールはジャルナック町にあり、コニャック町中央から車で20分の距離となるが、シャラント川を越えたジャルナック町は昨年走った「コニャックマラソン」での緊張感あるスタート地点であり、また沿道の声援が気分良く足取りを早めた中間地点、そして1歩1歩が重く進まなく本当に辛かったゴール地点でもあった。
毎年レンタカーで走るコニャックの土地を42.195キロ自らの足裏で一歩一歩感じてみたいと思い立ち、エントリーしたコニャックマラソンで感じた全てが蘇ってきていた。
車では感じられないコニャックの大地を踏みしめたジャルナックの中心を走るD736からクロワ・サン-ジル通りへ、レンタカーであっという間に通り過ぎてしまった。
走って良かったな…という感情が溢れてきた。
これこそ私が大切にしたいD.I.Yの旅なのかもしれない。
ユーロップ通りを右に曲がるとア・ウ・ドールに予定通り13時半に到着した。
創業者アメデ-エドゥアール・ドール氏のイニシャルが社名となるア・ウ・ドール(A.E.DOR)は1858年にジャルナックで創業し、自家畑を持たず契約農家から蒸留原酒を買い熟成させるネゴシアンとしてスタートした。
それから現在に至るまでにコニャック地方のグランド・シャンパーニュ地区、プティット・シャンパーニュ地区、ファン・ボア地区に自家畑を持ち自家蒸留も始め、足りない分の原酒は各地区の契約農家から購入しつつ本拠のジャルナックの貯蔵庫で全てを熟成させている。
そして、創業時に購入した最も古い1805年の樽はまだパラディーで眠っているよう、コニャックで1800年代の原酒を1番持っているとも言われている造り手であった。
レセプションに入ると品が溢れた雰囲気の女性秘書のクリスティーヌ・ヴァンソノーさんが迎えてくれ、アポイントの旨を伝えると商品管理責任者のベアトリス・クーシさんを呼んで案内を任せてくれた。
ア・ウ・ドールのコニャック以外にもラムやウオッカ等の扱う商品含め、
この場所は最終段階となるボトリングとラベル貼り、箱詰め、そして出荷となる工場となっている。
「1時間位しか時間が無く、出来たらア・ウ・ドールの秘蔵の古酒が眠るパラディを見学したいのですが宜しいでしょうか?」とクーシさんに申すと「ここから少し離れるので直ぐに行きましょう」と車に案内してくれ、クーシさんの運転で貯蔵庫へ向かった。
門を開け、鍵を開け、誰もいない聖地へと踏み込ませて頂いた。
長い年月ここで静かに保管されている大型のガラス瓶に籠巻きされたボンボンヌの量と対面し、息を吸うのを忘れてしまうほど圧倒された。
パラディで眠る最古の古酒1805年と向き合った。
長く樽で寝かせ過ぎアルコール度数は30度まで下がっている。
アルコール度数が40度以下になるとコニャックと名乗ることは出来ないフランスの規定の中で、ア・ウ・ドールのここにある40度を満たない原酒はその品質を評価され、特別にコニャックと名乗って販売が許されている歴史的遺産の原酒を実際に目の当たりにして興奮してしまった。
パラディを出たテイスティングスペースでクーシさんからア・ウ・ドールの特別なコニャックを立て続けにテイスティングさせて頂いた。
何て美味しいコニャックなんだろうか…
クーシさんはデキャンタに手をかけた。
このデキャンタは「サイン・オブ・タイム」というフォル・ブランシュ種100%、熟成は80年以上となる商品で、テイスティングルームに入ってからずっとオーラを発していた歴史的コニャックであった。
クーシさんは「もう時間が経ち過ぎて味はもう下っていると思います」と言いながらグラスに注いでくれた。
そんなクーシさんの言葉を打ち消すような、圧倒的な存在感のある味わいが押し寄せ、そしていつまでも消えなかった。
感動的な余韻が残る中、今日最後のアポイントとなる「フランソワ・ヴォワイエ」へとレンタカーを走らせた。
ジャルナック町からシャラント川を越え、何度もレンタカーを走らせたD736を下りスゴンザック町中心から更にジュイ・ヤック・ル・コック村を越えるとヴェリエール村へ20分で着いた。
フランソワ・ヴォワイエの標識が出てきて右折すると15時半のアポイント前に到着となった。
実はフランソワ・ヴォワイエへの訪問が決まったのは旅の数日前であった。
旅前に口にしたフランソワ・ヴォワイエのエキゾチックな熟した貴熟香(ランシオ香)を放ちまくる味わいに感動し、何故これだけのランシオ爆弾が生まれるのか見てみたいと思い立ったのであるが、コニャック廻りの最後は何かある場合を考えて空けておいたので、そこに急遽アポイントを入れ込んでいた。
インターフォンを押すと迎えてくれた販売マネージャーのモルガン・ムーテさんは、今旅で訪れた造り手で対応してくれた中で1番若い30代の男性で、初対面での空気感が1番楽に感じていた。
今日訪ねたレロー、ア・ウ・ドールも含め、こちらも海外輸出も行う造り手だけに来客にも慣れているのだろう。
ムーテさんにレセプションに案内されると、「まだここには日本のインポーターも来ていないですよ」と歓迎してくれて、ここまでの旅の話に興味を持ってくれたムーテさんから生産過程を説明しましょうとレセプションを出た。
ここヴェリエールと隣村のアンビルヴィーユに持つ畑から今年の収穫を無事に終えたユニブラン種100%のブドウから造られる原酒は、2回蒸留後コニャックの規定で70度から72度のアルコール度数の規定になると勿論思っていたが、この地区では68度台が許されているのを初めて知った。
何度か記してきたが、コニャックは2回蒸留後の原酒を新樽に入れて熟成を進めていく。
また、土地の畑で勝負する一等地の造り手では新樽に入れる期間は少なく、その後古樽に移して樽の強い風味を強く付けずブドウ本来の味わいを前面に出していくのであるが、度数の落とし方も各家様々の過程を経て落としていく。
フランソワ・ヴォワイエ含む砂糖やカラメルを使用せず、土地のブドウで勝負する一等地での“素っぴん美人”コニャックでは、度数を落とす際にボトリング直前に加水をするとコニャックの酒質に持つ脂肪酸と水の相性の悪さから味わいが壊れエグ味が出てしまうので、加水をする場合は3年位樽の中で一体化させることによりエグ味を消すやり方もある。
フランソワ・ヴォワイエが行う度数調整を細かく説明して頂いた。
2回蒸留後、68.6〜69.4度のアルコール度数の原酒を大樽で6ヶ月落ち着かせ、
その後蒸留水を少し入れてアルコール度数を62.6度まで落として新樽に入れる。
長くても3年まで新樽で寝かした原酒は古樽に移す前に新樽と古樽の中間のミディアムバレルに移す際にまた少量の蒸留水で加水し、その後ミディアムバレルで10〜12年の熟成を経て、
古樽に移す際にまた少量の蒸留水を加水し、その後じっくりと古樽で寝かし度数を落としていく。
原酒にストレスの無い少しづつの加水と時間をかけてコニャックと水を一体化させることにより、水によるエグ味が消える意味を改めて感じた。
ムーテさんは幾つもの樽から原酒をくみ上げてはテイスティングさせてくれ、熟成の経過を感じさせてくれた。
もう1つフランソワ・ヴォワイエが持つ貴熟香の謎を聞いてみたくムーテさんに聞くと蒸留所に住む犬のイッジがくっ付いて離れない。
可愛い子犬と戯れていると、そこに蒸留所内で働く男性が現れ挨拶を交わした。
ムーテさんと同年代位だろうか。
若いピエール・ヴォードンさんはフランソワ・ヴォワイエのマスターブレンダーとのことで、一緒になって造りを説明してくれることになった。
先ほどムーテさんに聞いた貴熟香の謎に対し、ヴォードンさんは「それはとてもこだわっているところなんです。ご説明しましょう!」と軽い動きで樽へと向かい幾つかの原酒をくみ出した。
熟成の長い原酒と若い原酒を両方テイスティングさせてくれた後にヴォードンさんはメスシリンダーに細かいミリ数をしっかりと計り混ぜ合わせ、
「是非テイスティングしてみてください。」と差し出してくれた。
味わいには驚きの貴熟香が表れていた…
手品を披露された様なヴォードンさんのテクニックと緻密な頭脳に“ランシオ爆弾”の意味を理解する事が出来た。
そして、フランソワ・ヴォワイエが誇る歴史的古酒までテイスティングしながらの説明をしてくれた。
仕事の手を止めて実演しながらの説明をしてくれたヴォードンさんにも「私達6人でコニャックを造っていますが、日本人の方にここでお会いしたのは初めてと思います。」と勢いある握手に、フランソワ・ヴォワイエの勢いまでも手のひらに感じていた。
レセプションに戻りフランソワ・ヴォワイエが持つ最高商品3つのテイスティングから仕入れをさせて頂いた。
コニャック町中央のコニャックショップで見た金額から遥かに安い価格であった。
パリでの販売価格を見るのも楽しみとなった。
造り手販売価格での仕入れにこだわった今旅であったが、空けておいたコニャック廻り最後の訪問時間でここまで来れて本当に良かったと思えた。
ムーテさんに来年も必ずと再会を約束し、仕入れたコニャックを持ちレセプションを出てレンタカーへ向かおうとすると、先に表に出たムーテさんから「うちの大きな番犬がいて噛まれてボトルを落として割ってしまうかもしれないのでちょっと待ってください」と言われ外を見た。
子犬のイッジかと思って見るとびっくりする位大きな犬がこちらを見て威嚇をしているではないか…
どっしりと座り全く動かない番犬をムーテさんが連れ出そうとするのを横目にサッとレンタカーに乗り込んだ。
ムーテさんが駆けつけて来てくれ、また握手を交わしレンタカーを走らせた。
今日は3軒の造り手で歴史的古酒を相当飲ませて貰い、テイスティング量も今までで一番だと身体が感じていた。
もう身体にコニャックが入ってこないかもしれない…
昨日ピエール・セルプレにわざわざ来てくれたパトリスさんが「明日是非寄って欲しい」と約束した言葉を考えていた。
歴史的遺産をテイスティングしたオンパレードな1日とこんな自らの規定量を超えた状態は初めてで考えたが、やっぱりこの縁を大切にしようとスゴンザックへとレンタカーを走らせた。
スゴンザックに着き車を停めた。持参してきた蜂蜜の残りを全て口に含ませ、胃と舌を守るようゆっくりと飲み込んでから車を出た。
メゾン・ド・ラ・グランド・シャンパーニュの扉を押すとパトリスさんの「待ってたよ」という声を先ず聞いた。来て良かった…
パトリスさんは「これは飲んで欲しい」と幾つかのテイスティングとなったが身体にもうコニャックが入ってこない状態で正直に感じ取れないでした。
「最後にもう1つ」と出してくれたコニャックを飲んだ。
何て美味しいんだろう。身体にストレスを感じないブドウ本来の味わいを感じる液体が身体に入り込んできた。
「これは何というコニャックでしょうか?」
「これはスゴンザックの“ソーニエ”と言う造り手で、ここ生産者組合に入っているコニャックです。美味しいでしょう」
「とても美味しいです。組合のボトルなら造り手と同じ販売価格ですね?」
提示されまたびっくりした価格に即購入を決めたが、パトリスさんに来年このソーニエ家へ訪れる道しるべまで頂いた。来年行ってみよう。
パトリスさんと短い時間であったが「また連絡します」と来年の再会を約束しレンタカーに戻った。
17時半を回りシャトー・ド・リューズへと向かったが喉の渇きからコニャック町中央のスーパーに寄り道し、大瓶のガス入り水を購入して一気に飲み干した。
直ぐにレンタカーを走らせシャトー・ド・リューズに到着し、フロントに行きチェックインをしていると、仕事中のオーレリーさんがフロントに来てくれて昨年以来の再会となった。
「19時にロロ(ローランさんの愛称)がフロントに来るから飲みに行きましょう」と後ほどの予定を聞き、レンタカーから数回に分けて部屋に全ての荷物を運んだ。
オーレリーさんの心遣いでスタンダードの宿泊料金ながら素晴らしい部屋を毎年取ってくれている。
シャラント渓谷を望むここに来ると、コニャック滞在最終日にやり切った感が毎年溢れ出てくる。
折角の古城ホテルの部屋は購入したコニャックや荷物で足の踏み場のない状態となってしまうが、明日朝一でチェックアウトしてレンタカーをアングレーム町で乗り捨てし、パリへ列車で向かう為にコニャックの梱包と荷造りを19時までに終わらせたかった。
チェックインの際にオーレリーさんから「これからハロウィンのイベントをホテルで毎年開催する今年の会議に出席するんだけど見学する?」と声をかけて貰ったが、「行きたいけど明日の朝チェックアウトが早いから昨日と今日購入したコニャックを急いで梱包しないとならないんだ」と、あと19時まで1時間無いので急いで部屋へ向かっていた。
“鬼の梱包”を始めるが結局時間が足りず、シャワーを浴びて着替えていると19時に部屋の電話が鳴った。
ローランさんからで、「数分後に急いで向かいます」と電話を切ると、急いで身支度をしフロントに降りた。
「オリリン(オーレリーさんの愛称)はまだ会議が終わらず遅れて来るから先に行こう」と言うローランさんの車に乗りコニャック町中央へと向かった。
車を停めて向かった先はワインバーで「昨年は確か無かったので新しいお店では?」とローランさんに聞くと、まだオープンして数ヶ月と言う。
だいぶコニャックの町の変化も分かるようになってきた。
ローランさんが選んでくれた赤ワインで乾杯となった。
ロワールのカベルネ・フラン種から造られる「シノン」の優しさとオーガニックワインの丸みがコニャックを飲み尽くした身体に心地良かった。
ローランさんに今日コニャックの造り手を廻った話を聞いて貰っているとオーレリーさんが到着した。
3人での乾杯からワインが空くとローランさんが会計を済ませてくれ、今年もこれで本当にお別れとなり、握手した手をお互い中々離せなかった。
車の窓を開けてサヨナラを言うローランさんを見送り、オーレリーさんの車でシャトー・ド・リューズへと戻った。
あっ!
ローランさんの車に手さげバッグを忘れてしまっていた…
オーレリーさんが直ぐに電話をしてくれるも繋がらない。
シャトー・ド・リューズに着く頃にローランさんから折り返し電話があると、車に手さげバッグはあるからこれから届けてくれると言ってくれた。
ホテルの外で待っているとローランさんの車が来た。
手さげバッグを差し出すローランさんはニコッと笑っていた。
「ごめんなさい。ただもう一度会いたかったから」
と私が言うと歯を出して笑って帰るローランさんの車が見えなくなるまで見送った。
そんなやり取りを見ていたオーレリーさんは「これは涙ものね」と言いながらホテルに入りバーへ向かった。
何度もカウンター内に入らせて貰い、カクテルを創ってきたバーのカウンターに座るとオーレリーさんが「直ぐに戻るから何か飲んで待ってて」と言うので、ギィ・ピナールが造るビールのラ・グールを頂くことにした。
ビールを1杯飲んでホッとしたかったので一気に飲み干してしまった。
直ぐにオーレリーさんは戻って来ると若き男性を連れてきた。
「ずっと居なかったバーマンがようやく入ったの。紹介するわ」とカウンターに入ったその青年を紹介してくれた。
バーテンダー兼ソムリエの23歳の若きトーマ・ルーさんが食前酒にとロングカクテルを創ってくれた。
昨年はオーレリーさんの心遣いからシャトー・ド・リューズでサプライズの盛大なパーティーをして貰い、大勢でワイワイと楽しい夜となった。そして最後に私がバーカウンターに入り、またカクテルを創った。
今年はオーレリーさんに夜にホテルのレストラン営業がある日であれば1名での予約をお願いしていた。
去年一昨年と日が悪くディナー営業がない日に宿泊となることばかりであったが、今回は初めて通常営業でのディナーがあることを確認していた。
コニャック最後の夜にそれを1人で感じてみたいと思ってもいた。
料理教室もするほど料理に長けたオーレリーさんとカウンターでカクテルを飲みながら、「今のシェフの味はとてもいいわ」とディナーメニューからおすすめして貰い、一緒になってメニューを決めた。
オーレリーさんから昨年のマラソンの話で盛り上がった。「シャラント・スターよ」と言ってくれた。
日本へ行こうと計画している話、そしてドラスへ行こうと思ってるという話を聞いているとカクテルを飲み終わり、オーレリーさんの案内でレストランへと向かうと落ち着いたテーブルに案内してくれた。
「これで私は帰るのでゆっくりと楽しんで。また来年ね」とオーレリーさんとは私に言うとルーさんを呼んで「後は任せたからよろしくね」と帰る後姿は、シャトー・ド・リューズで企画含め幹部として働くキャリアウーマンに溢れていた。
料理は頼んであったのでルーさんに先ずグラスで白ワインを頂くことにし、ロワールの「ル・ロシェ・デ・ヴィオレット」で幕が開けた。
アミューズのレンズ豆にロワールのシャルドネ種が心地良い。
今日選んだ2皿には赤ワインを選びたいと、ここでの出会いからせっかくなのでルーさんに赤ワインをボトルでお願いすることにした。
南仏ラングドック地方コトー・ド・リューションの「ドメーヌ・ピクマル」を選んでくれた。
1皿目の前菜は鹿肉で、シラー種、グルナッシュ種、カリニャン種がブレンドされたワインと合う。
そしてメインのピジョン(鳩)が運ばれた。
極限状態だった身体にひと噛みひと噛みが旨味を増し、ワインがまたそれを増幅させる。
この2日間全力で走り切った後のまだアドレナリンの収まらない自身を落ち着かせようと、1人でゆっくりとピジョンを噛みワインを含む。
最後のひと噛みでボトルが空いた。いい時間だった。
デセールはスフレをお願いしていたが、ルーさんがスフレを持って来るとオレンジリキュールのグランマルニエをかけてスフレに火を点けた。
揺れる燃える炎を見つめていた。
見ていると気持ちを落ち着かせてくれるよう、そしてコニャック愛をより大きくさせてくれるようだった。
デザートワインをお願いすると、ルーさんはボルドー地方のソーテルヌ地区とジロンド川を対岸するルピヤック地方の「シャトー・ド・リコー」を注いでくれた。
2000年ヴィンテージから16年経過した丸みがスフレと疲れを癒してくれる時間となった。
食後にもう今日はコニャックは飲めない…
完全燃焼したのだろう。エレベーターを上がり部屋に戻るとやりかけの梱包と荷造りは早朝に後回しにしベッドに倒れこんだ。
ベッドに身体が深く深く沈んでいく。
4日間コニャックで最高の日々を終えることが出来た。
手ごたえと安堵感に包まれ気持ち良かった…
by doras.nakamori
| 2017-01-26 12:01
| ヨーロッパ旅
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