2017年 02月 04日
2016年フランス・イタリア旅後記録 vol.9(完) |
2016年10月19日(水)
朝6時に起きてカーテンを開けるとまだ夜が明けていない。美しきシャラント渓谷はまだ見えなかった。
昨日途中までだったコニャックの梱包と荷造りを終え、大きなバスタブに熱い湯を張って身体を沈めた。
今年もやり切ったという安堵感と前へ前へ進もうとしている中では感じなかった疲労感が一気に湧き出てきて、ゆっくりとバスタブで身体を温めた。
バスタブから出て着替え、今旅で唯一朝食付きとしていた古城ホテルの朝食をとりにダイニングルームへ向かった。

バイキング形式でヨーロッパ調の朝食を食べ終えコーヒーを飲んでいるとホテルに住み着いている猫が今年も現れて戯れた。ゆったりとした時間が流れていた。
部屋へ戻り、荷物をフロントに運んでチェックアウトし、レンタカーをアングレーム町へと高速道路N141を走らせた。
順調に高速道路を飛ばしながら、何でイタリアの高速道路でタイヤをバーストしてしまったのかが頭をふとよぎり、そして今でも不思議に思っていた。
何かしらのアクシデントが毎回待っているが、これもまた良き思い出へと変わるのだろう。
アングレームが近づいて一般道へ入るが通勤ラッシュと重なってしまい渋滞に巻き込まれてしまった。
アングレーム駅へ向かうサント道路は動かなくなるが、レンタカーを返す前にガソリンを満タンに入れ、アングレーム駅前のレンタカー会社に無事愛着のあるフィアットを返却した。

列車の時間がギリギリだったので、ホッと一息付く間も無く直ぐにスーツケースを両手で転がし小走りに駅に向かうが、列車が出発してしまった後だった。
チケット窓口で次の列車のチケットを購入したが、3時間後とかなり待つことになってしまった。
「まぁいいか」
「清らかな風が神殿に吹き寄せてくる」
私の心に、そのフレーズが響き渡った。
待ってくれているお客様の顔が浮かんでいた。
いつまでも続く旅へ。またこれから1歩1歩進む1年が始まっていた。
夕方になり荷物を取りにホテルへ戻ると偶然にまた高山氏と再会した。
「ヒロ、先に帰るよ。日本でまた会おう」
ホテルを出てメトロと高速郊外鉄道RER線を使いシャルルドゴール空港へ向かう。
ホテルを出た時に温かい視線を感じた。振り返ると、高山氏が私の後ろ姿の写真を撮ってくれていた。
後日、高山氏が送ってくれた写真を見た。

夢と希望の詰まった荷物を持った、私の後ろ姿だった。
朝6時に起きてカーテンを開けるとまだ夜が明けていない。美しきシャラント渓谷はまだ見えなかった。
昨日途中までだったコニャックの梱包と荷造りを終え、大きなバスタブに熱い湯を張って身体を沈めた。
今年もやり切ったという安堵感と前へ前へ進もうとしている中では感じなかった疲労感が一気に湧き出てきて、ゆっくりとバスタブで身体を温めた。
バスタブから出て着替え、今旅で唯一朝食付きとしていた古城ホテルの朝食をとりにダイニングルームへ向かった。

部屋へ戻り、荷物をフロントに運んでチェックアウトし、レンタカーをアングレーム町へと高速道路N141を走らせた。
順調に高速道路を飛ばしながら、何でイタリアの高速道路でタイヤをバーストしてしまったのかが頭をふとよぎり、そして今でも不思議に思っていた。
何かしらのアクシデントが毎回待っているが、これもまた良き思い出へと変わるのだろう。
アングレームが近づいて一般道へ入るが通勤ラッシュと重なってしまい渋滞に巻き込まれてしまった。
アングレーム駅へ向かうサント道路は動かなくなるが、レンタカーを返す前にガソリンを満タンに入れ、アングレーム駅前のレンタカー会社に無事愛着のあるフィアットを返却した。

チケット窓口で次の列車のチケットを購入したが、3時間後とかなり待つことになってしまった。
「まぁいいか」
そう思いながら駅の構内に座る。時間がたっぷりとあるので、「まぁ、いいか」などという心境が生まれたことについて考えてみることにした。
例年、フランスでは帰りがパリとなるためにパリは必ず寄る最終地点であり、短い滞在ながらパリでの予定を慌ただしく入れてきていたが、パリでの時間の使い方に対して心境の変化が出てきているのを感じていた。
コニャック廻りでより深く入り込んでいくと同時にパリでは予定がなくなっていく。
“削ぎ落とした分、より深く追究する”という私の店のスタイルと旅のスタイルが、同調し始めたのか。だからこそ、パリでの過ごし方も変わってきたのだろう。
駅に居ても退屈なので大荷物で動ける範囲でアングレーム駅付近を歩くことにしたが、店もまだ開いてないので駅近くのブラッセリーに入った。

ビールを貰い、少し早いが昼食でメニューからサラダと鴨のロースト「マグレ・ドゥ・カナール」を見つけオーダーした。

食べ応えあったが完食すると駅に戻り、ジェノヴァとコニャックで仕入れた酒は最終地点パリで配送を行うために、今旅で1番重くなった超重量級の2つのスーツケースを1つづつホームへの階段を上り下りする。
1つは放っておいても重くて盗もうとしても直ぐに持っていけないから安心だ。

12時35分アングレーム発パリ・モンパルナス行きのTGVは15時20分にモンパルナス駅に到着した。
モンパルナス駅構内からメトロ4番線でシャトレ駅で7番線に乗り換え、ホテルのあるピラミッド駅で降りて地上に上がりオペラ通りに出た。
階段の上り下りで汗がにじむが、パリでの時間の使い方が変わってもD.I.Yの精神は変わっていない。

ホテルにチェックインして狭い部屋に入ると、どのようにスーツケースを置いて開くか考えてしまった。パリとこの界隈の立地の良さから通常宿泊代はかなり高いのであるが、かなりお値打ちなホテルを予約していたので不安もあったが、狭いながらも想像していたよりもいいホテルだった。

窮屈なシャワールームで汗を流し、スーツに着替え、身だしなみを整えた。髪の毛をオールバックにし、仕事前のようにシャキッとしてホテルを出た。
パリ入りしこの日は1つだけ予定があった。
18時にホテル・リッツ・パリの「バー・ヘミングウェイ」で日本の親友と待ち合わせをしていた。
昨年の旅での最終日、パリの夜に楽しみにしていたその彼との三ツ星レストランでの再会がテロの影響でなくなった。
テロ後に出国となってしまった彼の悔しさを誰よりも感じていたところ、お互い来年の旅でパリで時を合わせようとリベンジを誓ったのが今日であった。
“仲良しこよし”だけで同業者と付き合うことはないが、それだけに特別な存在なのを感じていた。
彼の名は、京都「バー・カルバドール」の高山寛之氏である。
毎年ノルマンディー地方へと渡仏してカルヴァドスの造り手を廻り、店名が物語るよう世界に誇るカルヴァドスを所有するバーマンであるが、2013年にフランス現地より“カルヴァドス・アンバサダー”という世界で16人、現地のフランス人が14人を占める中でアジアで唯一の勲章を授与された。
高山氏の生きる道を尊敬しているし、私は己の道を進む中で期間中にフランスで初めて会える事に同い年の親友として何を感じるのだろうか?
店のやり方もスタイルも全く違うのであるが、それを自らが全うしてきた旅の最後に感じれるのを楽しみにしていた。

ホテルから歩いて10分もかからずパリの中心部、1区にあるホテル・リッツに18時の待ち合わせ前に着いた。

ヴァンドーム広場に面したリッツはパリで最も高価なホテルとも云われている壮麗な宮殿ホテルである。

勿論宿泊したこともないが、ホテル内に入るのも初めてであった。

ホテルに入ると煌びやかでエレガントな空間に背筋が伸びた。

従業員1人1人の気品、意識の高さもビシビシと伝わってきていた。

ホテル利用客も同じく、そんな雰囲気がホテルの空間をより高めていて、時間までしばらく通路のギャラリーで人間観察を楽しんでいると遠目から分かるほど身体の大きな、そしてオーラのある高山氏が到着した。ようやくパリで会えた。

ここで待ち合わせした理由はレストランへ行く前に食前酒をバーで飲もうと決めていたからであった。
ホテルの奥にひっそりと佇むバー・ヘミングウェイに向かうと18時の開店前に客の列ができていてびっくりした。
18時にバーの扉が開くとヘッドバーテンダーのコリン・ピーター・フィールド氏が1人1人のゲストを笑顔で出迎えていたが、高山氏を見てコリンさんは満面の笑顔で迎えてくれた。
高山氏がアンバサダー授章式の際に司会者がコリンさんだったのと、またこの式と同じ会場で14ヶ国のバーテンダーによるカルヴァドスベースのカクテルコンペティションが開かれた際に高山氏はコリンさんと一緒にカクテルの審査員もしたことからも、コリンさんにとっても嬉しい再会だったのを歓迎度からも感じた。
コリンさんにカウンターの中央に案内して貰うことになり、高山氏はコリンさんに流暢な英語で私を紹介してくれ初めての挨拶を交わした。
投票により世界で最も偉大なバーテンダーとフォーブス誌にて称されたコリンさんに会いに世界中からゲストが次から次へと集まって来ては、コリンさんは客席を回り1人1人を迎えていた。
カウンターに座ると高山氏は1杯目にいつも来ると飲むというカクテルを直ぐにオーダーしたが、私はおすすめのカクテルからイタリアの家庭酒でレモンの皮を使ってウオッカで作る自家製リモンチェッロをスプマンテで割ったカクテル「ザ・ソレント」をお願いし、高山氏と乾杯となった。

今旅がイタリアからスタートしたのでそのストーリーをなぞったカクテルだったからだ。
私がコニャックからパリ入りした日に高山氏もノルマンディーからパリ入りし、先ずはお互いの目的地で仕事を終えた達成感に満たされた中での乾杯に2人でホッと一息付くことが出来た。

バー・ヘミングウェイはその名の通りアーネスト・ヘミングウェイのお気に入りのバーで店名を冠していて、壁にはヘミングウェイが撮った25枚のオリジナル写真が掲げられていて、作家がどんな場所や人に影響されたのかを見ていると知ることが出来る。
気づけば開店30分後にはほぼ満席となりコリンさんは客席を回り忙しい。
「コミュニケーションこそがバーテンダーのすべて」とコリンが言うように、コリンさんの魅力は創るカクテルだけではなく、博識で様々な分野の幅広い知識を持つコリンさんとの会話を求めるゲストを歓迎する姿を見ていると、新しいゲストをコリンさんはカウンターの私達の隣に案内した。
コリンさんは高山氏にその男性を説明したが、アンバサダー授章式を取り上げた出版社の方で、その際にはテレビ、新聞、フランス政府のインタビューを受けていた高山氏は「日本でよりフランスでの方が有名かもしれない」と笑っていた。
高山氏はまたも私を紹介してくれたので、私は短い時間で自己を如何にアピールするために持って来ていた、昨年完走したコニャックマラソンで自身が掲載となったフランスの新聞カラーコピーを渡し、フランス語で挨拶する姿を高山氏は見ながら、私がプレゼンテーション用の資料まで用意していたことに高笑いしていた。
氷を入れたワイングラスに自家製リモンチェッロが何と半分以上入り、それをスプマンテで割るカクテルは1杯目には重く、カクテルを創った若き女性バーテンダーに飲んでグラスが空いた分のスプマンテを足して貰いバランスを取ったが思った以上に破壊力があった。
もう1杯飲んでから行こうとジンフィズを飲み終わる頃には満席でゲストを断るまでとなり、席を空けようと会計を急いだ。
1杯のカクテルが30ユーロを超える高級店であるが、高いからこそステイタスを保つ意味、そしてコリンさん目当てにこれだけの集客力を肌で感じ刺激になる時間だった。

レストランを予約してある20時までまだ1時間あったが、ホテルの前からタクシーに乗って向かった。

レストランはパリ中心部から西に5kmほど離れたパリ郊外の16区に846万平方メートルにも及ぶ面積内のブローニュの森の中に構える三ツ星レストランの「ル・プレ・カトラン」だ。自然と胸が高まる。
昨年三ツ星レストラン「エピキュール」を高山氏が予約してあったのであるが、その日はル・プレ・カトランの定休日だった為エピキュールになった話のくだりがあった。
お互い「ヒロ」、「ヤス」と呼び合う2人であるが、「昨年ヤスが1人で攻めに攻めたエピキュールにまた行くのがいいんじゃない?エピキュールであれだけの記憶を残したんだから」とレストランを決める際に高山氏は話していたのであったが、「昨年のエピキュールはあれで1つ完結しているんだ。ヒロは居なかったけど心には居たんだ。だから当初予定していたプレ・カトランへ行こうよ」という話の流れから今回の予約が決まった。
タクシーはシャンゼリゼ大通りを進むが凱旋門へ向けて大渋滞が続いた。

右側にはエピキュールがあるホテル・ブリストルを望んでいた。
重い食前酒であったが珍しく酔いが回るのが早い。
凱旋門のある大きなロータリーを回ると渋滞は解除され、流れに乗るとブローニュの森へ入り進んだ。

王侯が利用していた別荘の館が基盤となり白亞の外観が重厚なル・プレ・カトランに着くと、先ほどの酔いも覚める眩しいオーラに包まれていた。

エスコートされダイニングルームへ案内されると、

非日常な調度品1つ1つが格式高い空間を引き締めるが、高い天井が開放的な気分にもさせてくれていた。

背の高いロウソクが2本揺らぐ落ち着いたテーブルに座り、

先ずシャンパーニュをボトルで頼もうとワインリストからお値打ちな設定価格にびっくりした「エグリ・ウーリエ」が抜栓され、私の今旅最後の晩餐の幕が開けた。

料理はコースにし、料理に合わせてその後のワインを赤ワインに決め、ブルゴーニュのアルマン・ルソー「リュショット・シャンベルタン」グラン・クリュ2007年を早めに抜栓しておいて貰った。

後は高山氏とお互いの今旅での成果を語り合い、食べて飲む全てが整った。

アミューズから

キャビアにフォアグラとオニオンフリットをカレーオイルで絡めた前菜、

セップ茸のリゾットは日本が誇る光の宝飾“真珠”をイメージし、料理名は「レ・パール・ドゥ・ジャポン」で目でも楽しめる1皿だった。

次の車海老とイカスミのラビオリが金箔のジュレに包まれた1皿に、

ソムリエから白ワインが合うとの提案から、ボルドー出身のティエリー・ジェルマンがロワール地方ソーミュールで造るロッシュ・ヌーヴ「ソーミュール」2014年をグラスで頂くことになった。

白亞の土壌から造られるシュナン・ブラン種と絶妙なペアリングに唸ってしまった。
魚料理はヒメジでネパールの胡椒ポワーヴル・ティミュットとジェノベーゼソースが使われた1皿へ。

今旅がジェノヴァからスタートし何度かジェノベーゼを食べていたので、偶然ながら私にとってストーリーある味わいとなり、またレモンやグレープフルーツなど柑橘系の香りが立つポワーヴル・ティミュットがアクセントになりワインが進んでしまった。
メインの肉料理はピジョンで鳩。

昨日シャトー・ド・リューズでのメインがピジョンだったのでこれまた繋がりがあった。

ゆったりとした流れからリュショット・シャンベルタンも味わいが開き、チーズワゴンが運ばれウオッシュ4種と白カビ2種を切って貰うとこの時間がいつまでも続いて欲しいと…

デセールは2つ。1つ目のバジルのソルベの上に尖ったメレンゲが20個位刺さっているのを見ていると一気に酔いが回ってきた。

飲んだデザートワインが何だったのか、それからの記憶が全て飛んでいた。
もう1つのデザートの味わい、コーヒーを飲んだのか?プティ・フールを食べたのだろうか?
それから高山氏と何を話したのだろうか?
信じている友との素晴らしい時間に力が抜けたのだろう。
確かにバー・ヘミングウェイで1杯目に飲んだザ・ソレントが効いていた。
2人でシャンパーニュと赤ワインを2本、グラスで白ワインとデザートワイン…しかし、いつもこれ位の量で記憶がなくなるまで酔うことは無かった。
食事を全力で楽しみ、そして今旅を完全燃焼したのだろう。
レストランを出てタクシーに乗り、ヴァンドーム広場で降り、歩いて高山氏と「ハリーズ・バー・ニューヨーク」へ向かった・・・らしい。
次に記憶が戻ったのはハリーズ・バーの扉を開けて、店内に入った瞬間からだった。

仕事柄、バーを10軒以上も1日で回ってしまうことも日本ではあるが、店での記憶は全てあっても移動の時間の記憶が無いこともあった。バーへ入るとお店に敬意を払う中で無意識に記憶が戻るのが、この時もそうだったのだろう。
バー・ヘミングウェイで2杯目に飲んだジンフィズをオーダーした。
カウンターでの時間は全て鮮明に覚えていた。
しかし、ハリーズ・バーを出て高山氏と同じホテルへ帰った記憶は無い。
2016年10月20日(木)
起きると二日酔いの頭痛が酷く、先ずロキソニンを口に放り込んだ。
この日の夜21時の便で日本へ帰ることになるが、購入した酒を配送する手続きという大きな仕事が残っているだけであったが、とにかく二日酔いが酷い。
昼にチェックアウトとなるが、2つのスーツケースへ荷造りを始めるが捗らない。
なんとか終えてフロントに降りてスーツケースと手荷物の大きなリュックをフロントに預けていると、待ち合わせしていた高山氏がフロントに降りてきた。
配送会社へ2人で行き書類を貰い、その後2人で近くにあるうどん店へ食べに行った。
ヨーロッパを旅している期間は1食でも現地料理を詰め込もうと全力で食べて飲んできていたが、昨日のル・プレ・カトランで今年の旅を終わりにしたかった。
二日酔いの身体に出汁が染み渡る。美味しいな…
うどんを食べながら日本を思い出していた。
今日の夜に飛行機に乗って日本時間の16時半に日本へ着き、浅草へ帰ってそのまま店を開けるのであるが、早く帰国して全身コニャックの香りがプンプンと放つ姿をお客様に感じて貰いたいと、それしか頭の中に無かった。
パリにまだいるが、もう今年の旅は終わっていた。
高山氏とお互い日本で今回の成果を魅せ合おうと固い握手を交わし、サヨナラをした。
2人とも昨日の自分を越えようと自分自身しか見ていない。
だからこそ、パリで会えて本当に良かった。
配送作業を終えて帰国まで時間が余った。オペラ通りに出ると自然と足はガルニエ宮殿オペラ座へ向かっていた。

今旅ではジェノヴァやパリでオペラ公演のスケジュールがなく観ることが出来なかったが、久しぶりにガルニエ宮でも行ってみようと思い立った。
ここ近年パリで観光などしてなかったが、ガルニエ宮の内部見学のチケットを買った。
ガルニエ宮に入ると観光客に混ざり、赤と金の装飾が重厚で美しき劇場と久々に対面した。
ふと最近はまって聴き込んでいたドニゼッティの、ここガルニエ宮で初演をしたオペラ「殉教者」の旋律が頭に浮かんでいた。
フランス語で歌われる美しきアリアや合唱を…
例年、フランスでは帰りがパリとなるためにパリは必ず寄る最終地点であり、短い滞在ながらパリでの予定を慌ただしく入れてきていたが、パリでの時間の使い方に対して心境の変化が出てきているのを感じていた。
コニャック廻りでより深く入り込んでいくと同時にパリでは予定がなくなっていく。
“削ぎ落とした分、より深く追究する”という私の店のスタイルと旅のスタイルが、同調し始めたのか。だからこそ、パリでの過ごし方も変わってきたのだろう。
駅に居ても退屈なので大荷物で動ける範囲でアングレーム駅付近を歩くことにしたが、店もまだ開いてないので駅近くのブラッセリーに入った。


1つは放っておいても重くて盗もうとしても直ぐに持っていけないから安心だ。

12時35分アングレーム発パリ・モンパルナス行きのTGVは15時20分にモンパルナス駅に到着した。
モンパルナス駅構内からメトロ4番線でシャトレ駅で7番線に乗り換え、ホテルのあるピラミッド駅で降りて地上に上がりオペラ通りに出た。
階段の上り下りで汗がにじむが、パリでの時間の使い方が変わってもD.I.Yの精神は変わっていない。


パリ入りしこの日は1つだけ予定があった。
18時にホテル・リッツ・パリの「バー・ヘミングウェイ」で日本の親友と待ち合わせをしていた。
昨年の旅での最終日、パリの夜に楽しみにしていたその彼との三ツ星レストランでの再会がテロの影響でなくなった。
テロ後に出国となってしまった彼の悔しさを誰よりも感じていたところ、お互い来年の旅でパリで時を合わせようとリベンジを誓ったのが今日であった。
“仲良しこよし”だけで同業者と付き合うことはないが、それだけに特別な存在なのを感じていた。
彼の名は、京都「バー・カルバドール」の高山寛之氏である。
毎年ノルマンディー地方へと渡仏してカルヴァドスの造り手を廻り、店名が物語るよう世界に誇るカルヴァドスを所有するバーマンであるが、2013年にフランス現地より“カルヴァドス・アンバサダー”という世界で16人、現地のフランス人が14人を占める中でアジアで唯一の勲章を授与された。
高山氏の生きる道を尊敬しているし、私は己の道を進む中で期間中にフランスで初めて会える事に同い年の親友として何を感じるのだろうか?
店のやり方もスタイルも全く違うのであるが、それを自らが全うしてきた旅の最後に感じれるのを楽しみにしていた。







ホテルの奥にひっそりと佇むバー・ヘミングウェイに向かうと18時の開店前に客の列ができていてびっくりした。
18時にバーの扉が開くとヘッドバーテンダーのコリン・ピーター・フィールド氏が1人1人のゲストを笑顔で出迎えていたが、高山氏を見てコリンさんは満面の笑顔で迎えてくれた。
高山氏がアンバサダー授章式の際に司会者がコリンさんだったのと、またこの式と同じ会場で14ヶ国のバーテンダーによるカルヴァドスベースのカクテルコンペティションが開かれた際に高山氏はコリンさんと一緒にカクテルの審査員もしたことからも、コリンさんにとっても嬉しい再会だったのを歓迎度からも感じた。
コリンさんにカウンターの中央に案内して貰うことになり、高山氏はコリンさんに流暢な英語で私を紹介してくれ初めての挨拶を交わした。
投票により世界で最も偉大なバーテンダーとフォーブス誌にて称されたコリンさんに会いに世界中からゲストが次から次へと集まって来ては、コリンさんは客席を回り1人1人を迎えていた。
カウンターに座ると高山氏は1杯目にいつも来ると飲むというカクテルを直ぐにオーダーしたが、私はおすすめのカクテルからイタリアの家庭酒でレモンの皮を使ってウオッカで作る自家製リモンチェッロをスプマンテで割ったカクテル「ザ・ソレント」をお願いし、高山氏と乾杯となった。

私がコニャックからパリ入りした日に高山氏もノルマンディーからパリ入りし、先ずはお互いの目的地で仕事を終えた達成感に満たされた中での乾杯に2人でホッと一息付くことが出来た。

気づけば開店30分後にはほぼ満席となりコリンさんは客席を回り忙しい。
「コミュニケーションこそがバーテンダーのすべて」とコリンが言うように、コリンさんの魅力は創るカクテルだけではなく、博識で様々な分野の幅広い知識を持つコリンさんとの会話を求めるゲストを歓迎する姿を見ていると、新しいゲストをコリンさんはカウンターの私達の隣に案内した。
コリンさんは高山氏にその男性を説明したが、アンバサダー授章式を取り上げた出版社の方で、その際にはテレビ、新聞、フランス政府のインタビューを受けていた高山氏は「日本でよりフランスでの方が有名かもしれない」と笑っていた。
高山氏はまたも私を紹介してくれたので、私は短い時間で自己を如何にアピールするために持って来ていた、昨年完走したコニャックマラソンで自身が掲載となったフランスの新聞カラーコピーを渡し、フランス語で挨拶する姿を高山氏は見ながら、私がプレゼンテーション用の資料まで用意していたことに高笑いしていた。
氷を入れたワイングラスに自家製リモンチェッロが何と半分以上入り、それをスプマンテで割るカクテルは1杯目には重く、カクテルを創った若き女性バーテンダーに飲んでグラスが空いた分のスプマンテを足して貰いバランスを取ったが思った以上に破壊力があった。
もう1杯飲んでから行こうとジンフィズを飲み終わる頃には満席でゲストを断るまでとなり、席を空けようと会計を急いだ。
1杯のカクテルが30ユーロを超える高級店であるが、高いからこそステイタスを保つ意味、そしてコリンさん目当てにこれだけの集客力を肌で感じ刺激になる時間だった。


昨年三ツ星レストラン「エピキュール」を高山氏が予約してあったのであるが、その日はル・プレ・カトランの定休日だった為エピキュールになった話のくだりがあった。
お互い「ヒロ」、「ヤス」と呼び合う2人であるが、「昨年ヤスが1人で攻めに攻めたエピキュールにまた行くのがいいんじゃない?エピキュールであれだけの記憶を残したんだから」とレストランを決める際に高山氏は話していたのであったが、「昨年のエピキュールはあれで1つ完結しているんだ。ヒロは居なかったけど心には居たんだ。だから当初予定していたプレ・カトランへ行こうよ」という話の流れから今回の予約が決まった。
タクシーはシャンゼリゼ大通りを進むが凱旋門へ向けて大渋滞が続いた。

重い食前酒であったが珍しく酔いが回るのが早い。
凱旋門のある大きなロータリーを回ると渋滞は解除され、流れに乗るとブローニュの森へ入り進んだ。













魚料理はヒメジでネパールの胡椒ポワーヴル・ティミュットとジェノベーゼソースが使われた1皿へ。

メインの肉料理はピジョンで鳩。




もう1つのデザートの味わい、コーヒーを飲んだのか?プティ・フールを食べたのだろうか?
それから高山氏と何を話したのだろうか?
信じている友との素晴らしい時間に力が抜けたのだろう。
確かにバー・ヘミングウェイで1杯目に飲んだザ・ソレントが効いていた。
2人でシャンパーニュと赤ワインを2本、グラスで白ワインとデザートワイン…しかし、いつもこれ位の量で記憶がなくなるまで酔うことは無かった。
食事を全力で楽しみ、そして今旅を完全燃焼したのだろう。
レストランを出てタクシーに乗り、ヴァンドーム広場で降り、歩いて高山氏と「ハリーズ・バー・ニューヨーク」へ向かった・・・らしい。
次に記憶が戻ったのはハリーズ・バーの扉を開けて、店内に入った瞬間からだった。

バー・ヘミングウェイで2杯目に飲んだジンフィズをオーダーした。
カウンターでの時間は全て鮮明に覚えていた。
しかし、ハリーズ・バーを出て高山氏と同じホテルへ帰った記憶は無い。
2016年10月20日(木)
起きると二日酔いの頭痛が酷く、先ずロキソニンを口に放り込んだ。
この日の夜21時の便で日本へ帰ることになるが、購入した酒を配送する手続きという大きな仕事が残っているだけであったが、とにかく二日酔いが酷い。
昼にチェックアウトとなるが、2つのスーツケースへ荷造りを始めるが捗らない。
なんとか終えてフロントに降りてスーツケースと手荷物の大きなリュックをフロントに預けていると、待ち合わせしていた高山氏がフロントに降りてきた。
配送会社へ2人で行き書類を貰い、その後2人で近くにあるうどん店へ食べに行った。
ヨーロッパを旅している期間は1食でも現地料理を詰め込もうと全力で食べて飲んできていたが、昨日のル・プレ・カトランで今年の旅を終わりにしたかった。
二日酔いの身体に出汁が染み渡る。美味しいな…
うどんを食べながら日本を思い出していた。
今日の夜に飛行機に乗って日本時間の16時半に日本へ着き、浅草へ帰ってそのまま店を開けるのであるが、早く帰国して全身コニャックの香りがプンプンと放つ姿をお客様に感じて貰いたいと、それしか頭の中に無かった。
パリにまだいるが、もう今年の旅は終わっていた。
高山氏とお互い日本で今回の成果を魅せ合おうと固い握手を交わし、サヨナラをした。
2人とも昨日の自分を越えようと自分自身しか見ていない。
だからこそ、パリで会えて本当に良かった。
配送作業を終えて帰国まで時間が余った。オペラ通りに出ると自然と足はガルニエ宮殿オペラ座へ向かっていた。

ここ近年パリで観光などしてなかったが、ガルニエ宮の内部見学のチケットを買った。
ガルニエ宮に入ると観光客に混ざり、赤と金の装飾が重厚で美しき劇場と久々に対面した。
ふと最近はまって聴き込んでいたドニゼッティの、ここガルニエ宮で初演をしたオペラ「殉教者」の旋律が頭に浮かんでいた。
フランス語で歌われる美しきアリアや合唱を…
「清らかな風が神殿に吹き寄せてくる」

今回の旅で感じたことの全てを、そして新たな風を、ドラスに早く吹かせてみたい。
ドラスは“扉”の意。
扉を開けると、ヨーロッパの風が吹き込んでくるようなバーに・・・
待ってくれているお客様の顔が浮かんでいた。
いつまでも続く旅へ。またこれから1歩1歩進む1年が始まっていた。
夕方になり荷物を取りにホテルへ戻ると偶然にまた高山氏と再会した。
「ヒロ、先に帰るよ。日本でまた会おう」
ホテルを出てメトロと高速郊外鉄道RER線を使いシャルルドゴール空港へ向かう。
ホテルを出た時に温かい視線を感じた。振り返ると、高山氏が私の後ろ姿の写真を撮ってくれていた。
後日、高山氏が送ってくれた写真を見た。

写真を見て、改めて思う。
汗をかきながら、新たな世界をこの手で掴んでいこうと。
(完)
汗をかきながら、新たな世界をこの手で掴んでいこうと。
(完)
高山氏が撮った写真が表紙となった著書『旅するバーテンダー2』はこちらにて。
読んでいただけましたら幸いです。
BAR DORAS 中森保貴
by doras.nakamori
| 2017-02-04 13:26
| ヨーロッパ旅
|
Comments(2)
毎回、美味しそうなお料理に嫉妬してしまいます。ソレントと言えば、高校時代に習った「帰れソレントへ」を思い出しますね。パリ・オペラ座バレエ団の公演も是非、ご覧下さい。
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いつも導きをありがとうございます。お陰様で良い旅となりました。書き終わりやっと帰国した気分です(笑)拙い文章にお付き合いありがとう御座いました。
オペラ座のバレエも行きたいです♪
オペラ座のバレエも行きたいです♪


